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ゴルフ史最大級40億円被害の真相(6)“畑違い”の弁護団に違和感…被害者たちが団結できなかった理由【小川朗 ゴルフ現場主義!】
1000人以上が総額40億円にも上る被害を受けたゴルフ界を激震させた「ゴルフスタジアム事件」。発覚から7年にわたり取材を続けてきたゴルフジャーナリストの小川朗氏が、最終局面を迎えた事件の全貌をリポートします。1000人超の被害者は方向性の違いからいくつかのグループに分かれて訴訟を提起することになりました。なぜ全員が一致団結できなかったのでしょうか。
「最高の結果が“名古屋基準”になってしまっているのは確か」
2017年3月26日。東京に本部を置く「ゴルフスタジアム被害者を守る会」が結成されました。1000人以上の被害者のうち約700人が入会し、4月30日には都内で1回目の総会が開かれ、弁護団の団長となった西村國彦弁護士が会員たちの前で挨拶。7年に及ぶ、長い戦いのスタートを切ることになります。
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一方で、その戦いに合流しなかった数百人の被害者たちがいます。その方々はこの時、どうしていたのでしょう。実は全国に散らばった被害者の中には、「勝てない」と言われて自己破産や和解を選択した方々がいます。残りの一部の被害者たちは、各地域でまとまり訴訟を起こしていたのです。名古屋では4月3日に愛知県弁護士会館で被害者説明会が開催され、大西正一弁護士が代表となる弁護団が結成されました。同じ事件の被害者でありながら、なぜ全員が一致団結といかなかったのでしょうか。その疑問に迫ります。
この連載の第4回で、東京の代表である今西圭介氏は「被害者を守る会」の立ち上げ時をこう振り返っています。
「当初、向こう(名古屋)の弁護士と、(東京の)西村先生たちが、やり合ってしまったんです。『西村さんはゴルフとか、そっちのほう。(クレジット被害について)分かっていない弁護士が出てきても(ダメ)』みたいなことを向こうに言われてしまって」
当時、東京と名古屋の間に何が起こっていたのでしょうか。まず、名古屋弁護団の代表を務めた大西弁護士に聞いたところ、こんな答えが返ってきました。
「最初は(東京と)一緒に始めて、こちらで立ち上げた時にも参加されていました。本来は(名古屋と東京で)一緒にやるはずだったんですけど、いま東京で中心で働いている方(西村弁護士)が自分でやるということで、東京のほうで別に組織されて始められたんです。考え方も少し違うし、契約内容も料金体系も違ったりしていて、こちらのほうで始めたのとは違うシステムで始められたんだと思います。要するに、活動形態が違ったんですね。こちらは実際、消費者被害を担当されている弁護士とスポーツ関係の弁護士とが一緒にやってたんですけど、(東京は)どちらかというとスポーツの、ゴルフ関係で組織されたようですね」
東京と名古屋、両トップの考え方の違いから来る分裂劇が見えてきます。その大きな分岐点となったのが、17年に愛知県弁護士会館で行われた被害者説明会です。ここで「ゴルフスタジアム被害対策弁護団東海」が結成されます。
当日の様子については、名古屋の弁護団の石川真司弁護士が記憶していました。
「西村弁護士が名古屋の被害者説明会にお越しになったのはその通りで、それが平成29年(2017年)4月3日のことだったと思います。被害者説明会はこの1回しかしていませんから。事前に名古屋の大西弁護士と西村弁護士が接触しており、その流れで西村弁護士が名古屋にお越しになったと記憶しています。ただ、私を含め弁護団の消費者系弁護士は、西村弁護士の動き方に違和感を持っており、一緒にやることについて懐疑的でした。そのため、説明会でも西村弁護士には発言してもらわなかったと記憶しています」
東京は3月中に被害者の会を結成し、前述の通り4月30日に第1回の総会を開き、訴訟へと進んでいきますが、大西弁護士のコメントからも分かるように、東京と名古屋の両団体が歩調を合わせることはなかったのです。
名古屋は東京よりも速いテンポで事を運びます。17年から18年にかけて3次に渡り関連信販会社3社及びリース会社1社並びに堀新社長ら役員、勧誘担当者に対して訴訟を提起。20年の8月から11月までの間に信販会社及びリース会社の間で順次和解解決をしていきました。翌21年4月27日には堀社長らに対する勝訴判決も得ています。
一方の東京弁護団。17年5月26日から11月13日までに信販・リース会社7社に対して被害者625人の提訴を完了させました。並行して同年の6月27日に株式会社ゴルフスタジアムへの債権者破産申立を行い、19年3月26日に破産手続の廃止決定。同年9月に東京弁護団も堀ほか12名を提訴しました。
こうしてみると、名古屋の弁護団が東京に比べ、スピーディーに和解まで進めていったのがよく分かります。その事情を、今西代表はこう語っています。
「やっぱり2年ぐらいで勝負かけたかったのに、長引いちゃった。でもそれは西村先生たちの作戦でもあったんです。世間から注目を浴びながら、ある程度長引かせている間に政治家の先生たちに頼みに行ったり、経産省に嘆願書を出したりしながら、信販会社に揺さぶりをかけていこうっていう……。ただ正直、結果的には先生方にも本当に一生懸命やっていただいたんですけど、最高の結果が“名古屋基準”ということになってしまっているのは確かなんですよね」
長期戦で信販・リース会社にさまざまな角度からプレッシャーをかけていく。しかしその戦術を取った結果、法廷闘争は長期化しました。その間にはコロナ禍という予想外の問題も、裁判の進行にブレーキをかけました。多くの問題により裁判は長引き、そのしわ寄せが会員たちに遅延損害金という形でのしかかることになってしまったわけです。
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