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- “本土復帰50年”米軍基地の影響下で育まれた沖縄特有のゴルフ文化
ゴルフトラベラー・芝鳥のぶあまの「ゴルフ旅のススメ」第2回。5月15日、本土復帰50年を迎えた沖縄。スループレーが基本であることやアメリカナイズされたスナックで済ますランチなど独特のゴルフ文化に魅せられた人も多いかもしれない。その源流には米軍基地のゴルフ場がある。
井上誠一設計の「アワセメドウズ」から始まった
5月15日に本土復帰50年を迎えた沖縄。今回はそのゴルフの歴史について紹介する。
沖縄のゴルフは昭和23年(1948年)、終戦後の米国統治下の時代に米軍が「アワセメドウズゴルフコース」というコースを造ってから始まった。
設計は、霞ヶ関カンツリー倶楽部や龍ヶ崎カントリー倶楽部を設計した巨匠、井上誠一。
最初は米軍関係者のためのゴルフコースだったが、しばらくして民間人も米軍関係者からの紹介があればラウンドできるようになった。
沖縄カントリークラブが1965年に開場するまで、沖縄には民間人が自由にラウンドできるゴルフコースはなかったので、米軍関係者は積極的に民間人にアワセメドウズを開放していた。
沖縄でスループレーが定着しているのは、昼からのスタートの需要があるのも理由の1つではあるが、元々はアワセメドウズの影響により、海外と同じくスループレーが当たり前だったことが大きいと思う。
そんなアワセメドウズも日本に返還されて2010年2月に閉鎖。15年、その跡地にイオンモール沖縄ライカムがオープンした。
沖縄ゴルフの原点とも言えるアワセメドウズでは、メジャー6勝のリー・トレビノが海兵隊員の時代にプレーしていたり、宮里美香はコースが閉鎖される直前まで腕を磨いていたそうだ。
残念ながら私はラウンドしたことがないのだが、コースの跡地には行ってみたことがある。遠くに海が見えるロケーションが公園の敷地として残っていた。
沖縄で疑似アメリカ旅行を楽しむ
米軍はアワセメドウズを閉鎖した代わりにタイヨーゴルフクラブを造った。こちらはパスポートなど必要なくゴルフ場に入れ、それでいて中は完全にアメリカのコースの雰囲気。コロナ禍で海外への移動が大変だが、ここなら気軽に海外ゴルフの気分を味わえる。
その中で記憶に残るホールを紹介すると、16番ホールの谷越えのパー4はレイアウトが変わっている。ティーショットで谷越えするか、それとも刻んでセカンドで谷越えをするのか選べる2ウェイのホールで面白い。
現在、沖縄にあるタイヨー以外の米軍コースは、嘉手納基地内にパー72のバンヤンツリーゴルフコース、嘉手納基地の隣にある9ホールのパー3コースのチバナゴルフコース、米軍保養施設の奥間レスト・センター内に9ホールのショートコースのハブリンクスゴルフコースがある。
バンヤンとハブリンクスは米軍関係者の紹介が必要になるが、チバナは日本人もパスポートなしでの出入りが自由でラウンドもできる。日本のショートコースはティーイングエリアがマットであることが多いが、チバナは芝から打てるのがうれしい。そして、ラウンド後はクラブハウスに併設されている「チッパーズスナックバー」へ。テラス席で食べるハンバーガーはボリューム満点でアメリカを感じることができた。
今回は、かつてアワセメドウズがあった近くにある「ローズガーデン」というアメリカンダイナーを紹介する。1960年にペプシコーラのマネージャーとして沖縄にやってきたアメリカ人のレイ・ペインが始めたお店で、メニューも内装も完全なアメリカンダイナー。客も米軍関係者のファミリーが多い。
エッグベネディクトやフレンチトーストに厚切りベーコンと卵料理などのアメリカンスタイルの朝食を朝8時からいただくことができるので、ここで朝ごはんを食べてからタイヨーやチバナでゴルフをすれば、コロナ禍でも疑似海外旅行を楽しむことができる。
次回は沖縄独特のロングコース・ミドルコース・ショートコースという分け方について話をしたいと思う。
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