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- 空襲警報が鳴ってもプレーを続けた日英のゴルファーたち 気概とユーモアに溢れたローカルルールとは?
第2次世界大戦の終戦から今日で77年。ゴルフなどとてもやっていられる状況ではなかったように思われる先の大戦中ですが、そんな中でもへこたれずにプレーを続けた猛者たちが少なからずいたようです。
「敵さん、さぞかしうらやましがっとるじゃろ」
8月15日は日本の「終戦の日」。
改めて戦争の悲惨さを知り、その回避を誓う日です。
ところで、80年ほど前、太平洋戦争下の日本ではゴルフはどういう状況に置かれていたのでしょう。
トーナメントは、日本オープンは1942~49年の間、日本プロゴルフ選手権は43~48年の間は開催できませんでした。
その一方で、日本中が「贅沢は敵だ!」と緊縮生活が叫ばれるなか、一部で細々と営業を続けるゴルフ場には腹の座ったゴルフ大好き人間が依然ゴルフを楽しんでいました。
そんな剛毅なゴルファーの逸話が、東京ゴルフ倶楽部の『50年史』のなかに紹介されています。戦後の昭和29年に執筆された同倶楽部のメンバーのエッセイですが、一部を抜粋・紹介しましょう。
〈ところが敗戦色もいよいよ濃厚になり、サイパンが取られてからは、B29がのさばり返ってゴルフ場上空にまでのして来だしたのには、この狂人ども(注:自分たちゴルフ狂のこと)にも憂鬱の種で、3番(ホール)のパットを済ました頃、ポゥオと唸る非常警戒などに出あうと、せっかく暁(明け方)の5時に家を出たまでの苦労が、一瞬に消えるような思いがするのだが、そこは3人以上は群集心理という現象で、爆弾が落ちてくるまでやってしまおうじゃないかと、くそ度胸で押し通したものである。
「敵さん、我々が悠々グリーン上パッティングでもやっているのを見て、さぞうらやましがっとることじゃろ」とうそぶいて、ワンパットで決めた男が一服つけながら豪語しているといった姿なぞは、今思い出しても愉快な情景といえよう。〉
いやはや豪快。実に「あっぱれ!」です。
不屈のローカルルール
この少し前、第2次世界大戦下の1940年~41年、イギリスも連日ドイツ軍の空襲を受けていました。爆弾投下は首都ロンドンに限らず、郊外にも及び、ゴルフ場も無縁ではありませんでした。
ロンドン近郊にある名門倶楽部のリッチモンドゴルフクラブでは敷地内の洗濯小屋が被弾します。もはやゴルフ場も安全ではありません。ここで、普通はゴルフ場をクローズするところですが、不屈の精神力を誇るイギリス人気質=ジョンブル魂は、そんなことでドイツ軍に尻尾を巻くことはありません。
リッチモンドGCはコース上に爆弾を落とされる事態に備え、暫定のローカルルールを設けたのです。
その全7項目のルールがイギリス人らしいウィットに富んでいて、なんとも愉快。
1.芝刈り機の破損の原因になるので、プレーヤーは爆弾や榴弾の破片は拾い集めること。
2.競技中に銃撃や爆弾投下に遇った場合、プレーヤーは無罰で競技を中断し、避難することができる。
3.時限式の爆弾が落とされた場合、そうと思われる地点を赤旗でマークするが、身の安全は保証できない。安全な距離をとるように。
4.フェアウェイ及びバンカー内でボールから1クラブレングス以内にある爆弾の破片は無罰で取り除くことができる。その際に誤ってボールを動かしても罰はない。
5.敵の攻撃により、ボールが動いた場合は無罰でリプレースできる。もし、ボールが紛失あるいは破壊された場合は無罰で、ホールに近づかない地点にドロップすることができる。
6.爆撃でできたクレーター内にボールが止まった場合は、無罰で拾い上げ、ボールとホールを結んだ後方線上にドロップすることができる。
7.ストロークと同時の爆撃でプレーに影響があった場合、プレーヤーは1罰打の付加で、同じ地点から打ち直しができる。
つまりは「ドイツ軍の空襲なんて大したことない。ゴルフをプレーしよう!」と訴えるこの臨時ルールは新聞で取り上げられると、イギリス国民は大喝采。
しかし、イギリスの戦意喪失を狙ったドイツ軍はカチンと来ます。イギリス向けのラジオ放送で、
「イギリスの気取り屋たちは、こうしたばかばかしいローカルルールを作って、いかにもヒーローらしくふるまっている。しかし、そもそも彼らは何だって言えるんだ。なぜなら、ドイツ空軍は軍事施設だけを攻撃しており、彼らは安全だからだ」
ドイツ側は、安全だからやつらはこんな軽口を叩けるんだ、揶揄したのです。
すると、これに対するリッチモンドGC側の返答がふるっています。
「ということは、われわれの洗濯小屋は彼らにとっては軍事施設だったんだ」
見事な切り返し。こちらのゴルフ場にも「あっぱれ!」です。
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