諸星裕氏JGTO会長就任の裏側 『とくダネ!』だけじゃない凄い経歴生かしサウジマネーも呼び込む!?

JGTO(日本ゴルフツアー機構)は8年続いた青木功体制が終わり、新体制がスタートしました。新会長は、かつて『とくダネ!』(フジテレビ)でコメンテーターを務め、JGTOの副会長も14年務めた諸星裕(もろほし・ゆたか)氏(77)です。

前日本証券業協会会長の鈴木茂晴氏擁立を断念

 会長要請であわや交通事故!?のエピソードも。JGTO(日本ゴルフツアー機構)は8年続いた青木功体制が終わり、新体制がスタートしました。新会長は、かつて『とくダネ!』(フジテレビ)でコメンテーターを務め、JGTOの副会長も14年務めた諸星裕(もろほし・ゆたか)氏(77)です。激動の1日となった2024年3月19日。新体制誕生劇の裏側に迫ります。

新体制の3人(左から倉本副会長、諸星会長、谷原副会長) 写真:清流舎
新体制の3人(左から倉本副会長、諸星会長、谷原副会長) 写真:清流舎

 新会長の誕生劇は、異例の展開でした。本人もびっくりだった就任要請の瞬間を、諸星会長は、こう振り返ります。

「ここ(会見場)に来る途中の用賀(東京都世田谷区)のあたりでクラさん(倉本昌弘)から電話で『会長に』って言われて、本当に交通事故を起こすんじゃないかと思いました」

 新体制で副会長に就任した倉本から理事就任の打診を受けたのは3週前。もともと両者の間には浅からぬ縁があります。NHKのゴルフ中継を通じて顔見知りだったマージ加藤(当時)さんが、のちに倉本と結婚。その倉本から1999年のJGTO発足時に「理事に」と誘われ、その後14年間、副会長として組織を支えることになります。

 そんな縁もあるだけに、倉本も無理が言えました。

「数週間前から、ある方(前日本証券業協会会長の鈴木茂晴氏)に会長をお願いすべく、ずっと交渉をしてたんですが、なかなか折り合いもつかなかった。昨日(会見前日)の夜遅くまでその方と私がずっと選手から全権を委任されて交渉をしてたんですが、最終的にわれわれとしては断念したということです。諸星先生にはその間『もしそこで決裂した場合には、会長をを受けてもらえますか?』という、非常に失礼なお願いはしてたんですけども、実際に諸星先生にお願いするしかないとなったのは、今朝になってからでした」(倉本)

 実際のところ、鈴木氏が固辞した理由は何なのでしょうか。倉本副会長は「理事の数を期限内に16から20に増やそうとしたのですが、『違法だ』『適法だ』という話になって、結局間に合わせることができなかったことが原因」と説明しています。

 つまり鈴木会長はすでに決まっていた16人の理事に、プラスして4人の理事を加えてほしいと希望していたわけです。

「で、われわれ選手会側の弁護士は『違法ではない』というのですが。JGTO側の弁護士は『違法だ』という。結局それが長引いていて、逆算すると開幕戦の東建(東建コーポレーションカップ)さんに迷惑がかかってしまう。それで断念したわけです」

 会見の翌日、説得に当たっていた倉本副会長にもう一度「ネックになったのは、理事の数を増やしたいということでしたよね?」と尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。

「鈴木さんのご希望は、手足になる人を4人送り込みたいということ。それにわれわれが添えなかったということです」

カナダの刑務所勤務時代、猛練習でシングルプレーヤーに

 とはいえ、諸星氏のキャリアは折り紙付き。ICU(国際基督教大)在学中はアメリカンフットボール部に在籍しながら、当時構内にあつた「ICUゴルフコース」でゴルフ歴をスタート。卒業後はブリガムヤング大(ユタ州)で修士課程を修了し、カナダのトロント刑務所の管理職当時には連日練習場で500球打ちラウンドする毎日を送り、半年でシングルプレーヤーになっています。

 1976年のモントリオール五輪ではNHKと民放がそれぞれ放送権を分け合う「モントリオール方式」の国際交渉役を務め、あらゆるトラブルに対応しました。その後はミネソタの公立大学で助教授として働くようになり、1987年の全米オープン(オリンピック)では大京観光創業者の横山修二氏と知り合い、大京パームメドウズカップの運営にも尽力。前夜祭の司会を大会ホストだったグレッグ・ノーマンと一緒に務めたのが縁で、親交を深めます。岡本綾子さんが3人プレーオフを戦い、惜しくも2位に終わった全米女子オープンでも現地でコーディネーターとして働いていました。

 1991年には旭硝子ゴルフ世界選手権の幕引き役として米国・欧州・豪州(オーストラレイジア)の関係者と調整を行った経験もあります。JGTOの初代会長・島田幸作氏の所属コースである宝塚GCは、義父がメンバー。両者が顔見知りだったという縁もあり、14年間にわたり多くの問題と直面しながらJGTOの運営に尽力したわけです。

 その後はゴルフ改革会議の副議長として、東京五輪のゴルフ会場を若州ゴルフリンクスで開催することや、ゴルフ場利用税の廃止、ゴルフを学校スポーツにすることなど、正論を主張しながらゴルフ界の改革に当たりました。

「ノーマン経由でアラブに行かなくちゃいけないな」

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新体制の3人(左から倉本副会長、諸星会長、谷原副会長) 写真:清流舎
質問に答える倉本副会長。諸星会長、谷原副会長とともに男子プロゴルフ界の再興に取り組む 写真:清流舎
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