- ゴルフのニュース|総合ゴルフ情報サイト
- 記事一覧
- ツアー
- 22歳のイ・ボミが米国ではなく日本行きを決めた理由とは? 「本当にいい決断をしたと言われます」
今季限りで日本女子ゴルフツアーから引退を決めたイ・ボミ。2011年のツアー初参戦からこれまで、さまざまな出来事や思い出を振り返ってもらった。独占インタビューを2回に分けてお届けする。前編は10年に韓国ツアー賞金女王になったボミが、日本行きを決心し、初勝利を挙げるまでを語ってもらった。
横峯さくらの果敢なゴルフを見て「日本ツアーに行ってみたい!」
2015年、16年の賞金女王、イ・ボミが今季限りで日本ツアーから引退することを決めた。彼女は今、日本での12年余をどう振り返り、何を思うのか。独占インタビューをオファーしたところ、快く応じてくれた。13年前、韓国の賞金女王に就いたボミが、米国ではなく日本行きを選んだ理由とは?
※ ※ ※
日本ツアーからの引退を発表して約2カ月が過ぎました。まだ試合が残っていますが、今はどのような心境でしょうか?
「今年で日本ツアーを去ると思うと寂しいという感情はありますが、まだいくつか出場が決まっている試合があるので、そこに向けてしっかり準備していく気持ちのほうが強いです。今年は推薦で2試合出場させてもらいましたが、予選落ちが続いているので、ファンのみなさんの前でいいプレーを見せたいたいというのが正直な気持ちです」
今回は「日本とイ・ボミ」というテーマでいろいろとお聞きしたいのですが、まず日本に行こうと決めたきっかけについて、あらためて教えてください。
「私が韓国女子ツアーでプロデビューした頃、賞金女王や賞金ランキング上位の選手たちは、その後、米ツアーに行くことが多かったんです。実際に国内にはそういう風潮がありましたから、日本ツアーに行くという考えはまったくありませんでした」
「私が韓国ツアーで賞金女王になった年の2010年シーズンは、海外メジャーの『全米女子オープン』に出場したのですが、初日『84』、2日目『75』で予選落ち。その後も『全英女子オープン』に出場するかも迷っていたのですが、時差や移動などでコンディション調整がうまくいかず、いい結果が出ないことを知りながら、米ツアーに行くことに魅力を感じなかったんです。自分には水が合わないと分かったとき、母が『日本ツアーはどう?』と、提案してきたんです」
当時、日本ツアーに対してはどのようなイメージを持っていましたか?
「2010年だともう13年前の話です(笑)。当時は日本で多くの韓国の選手が活躍しているのは聞いていましたし、10年の参戦1年目から賞金女王になったアン・ソンジュ選手や、全美貞選手や李知姫選手ら先輩の活躍も耳には入っていました。ただ、韓国で報じられるニュースは、米ツアーの結果がほとんどで、日本ツアーの結果はそこまで大きな扱いではなかった記憶があります。でも、テレビで日本ツアー選手のプレーを見る機会があったのですが、今も忘れないのが、10年の『マンシングウェアレディース東海クラシック』で見た横峯さくら選手の2オンのシーンでした」
具体的に教えてもらえますか?
「試合会場は南愛知カントリークラブ美浜コースで、15番パー5は左側が池。そこから横峯さんが果敢に2オンを狙っているのを見て、『日本ツアーに行ってみたい』って思ったんです。自分もそんなゴルフができるなら、きっと楽しいだろうなと思いました。私のように小さな選手も多くて、それでも戦えるツアーかもしれないという印象を持ちました。それで2次QT(予選会)からスタートして、ファイナルまで進んで出場権を得ましたが、もちろん緊張しましたよ。簡単ではなかったですが、日本行きを決めて良かったと思いました」
「日本に行くことに否定的な意見はなかったです」
10年に「韓国ツアー賞金女王が日本に行く」と報じられたとき、韓国国内の反応はどうでしたか?
「私自身の決断だったので、今も周囲からよく言われるのが『本当にいい決断をした』という声です。韓国のファンの方たちにはさびしい思いをさせてしまいましたが、日本参戦1年目は日本と韓国を行ったり来たりしながらツアーを戦っていましたし、日本に行くことに否定的な意見はなかったです。むしろ、日本のコースや環境に慣れることに必死でした。でも、選手中心にトーナメントが運営されていることや試合や練習環境の良さに感激しましたよ」
日本の試合数の多さや賞金額も進出の目的にはなりませんでしたか?
「仮に目的がお金だけの選手なら、米ツアーを選ぶでしょう。でも、私は先ほども言ったように米ツアーが水に合わないのがつらかったですし、日本は時差もなく、飛行機でも2時間で着くので、それが一番のメリットでした。実際に練習もラウンドも試合会場ですべて完結できるので(注/韓国ツアーはゴルフ場にドライビングレンジがなく、外の練習場を使うトーナメントもある)、環境の良さも長くいようと思える理由の一つでした。それに日本は食事もおいしいので、楽しみが増えました」
ちなみに韓国でファンクラブはいつ頃できたんでしょうか?
「私がプロ入りしたのが08年なのですが、韓国のレギュラーツアーに本格参戦したのが09年。いわゆるルーキーイヤーですよね。同年の韓国女子オープンで2日目まで首位に立っていたのですが、逆転されて3位になったんです。新人ながら注目されるきっかけになり、その時から熱烈に応援してくれている方がファンクラブをつくってくれたんです。日本にもファンクラブができましたが、まさか両国のファンがつながって交流までするなんて、考えてもいなかったですよね。夏になると韓国でファンクラブの方と毎年コンペをやったり忘年会を催したりと、今でも交流が続いているので、本当に家族みたいな存在です」
最新の記事
pick up
ranking