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PGAの“年2億持ち出し”で存続してきた日本プロが冠スポンサー獲得でひと息 来年から“少なくとも”3年間は同一コース開催に
日本最古のプロゴルフトーナメント開催継続のために、日本プロゴルフ協会(PGA)が方針転換を決断。新しい冠スポンサーとともに、2026年から3年連続で蒲生ゴルフ倶楽部(滋賀県)を舞台に大会を行うことを発表した。
「正直、規模を小さくするとか(開催を)休むとか、いろんな形を考えました」
◆国内男子プロゴルフ メジャー初戦
日本プロゴルフ選手権大会 5月22~25日 三甲ゴルフ倶楽部 谷汲コース(岐阜県) 7337ヤード・パー72
22日からの「第92回日本プロゴルフ選手権」(岐阜県・三甲ゴルフ倶楽部 谷汲コース)開幕を前に行った会見で、日本プロゴルフ協会(PGA)は26年から28年までの3年間、センコーグループホールディングス(センコーGHD)の冠協賛が決まったことと、3年連続で同社保有の蒲生ゴルフ倶楽部(滋賀県)での同大会開催を同時に明らかにし、その場で調印式も行った。

1926年、日本オープンに1年先んじる形で「全国プロフェッショナルゴルファーズ優勝大会」という名称で始まった日本プロゴルフ選手権。出場選手6人だった第1回から、11人出場の第3回までは、茨木カンツリー倶楽部(大阪府)が舞台だった。
その後は、毎年異なるゴルフ場で開催するサーキット方式に変わった。第2次大戦中に6年間中断した後、再開した49、50年の2回のみ我孫子ゴルフ倶楽部(千葉県)で行われている。51年以降は再びサーキット方式となったが、「日本プロゴルフ選手権 センコーグループカップ」となる来年からは一転することになる。
実は、日本プロゴルフ選手権には、2010年から17年まで日清食品HDが冠スポンサーについていた。大会正式名称は「日本プロゴルフ選手権 日清カップヌードル杯」。しかし、日清撤退後の18年以降は代替スポンサーが見つからず、毎年、PGAが2億円以上を持ち出す形となっていた。
「もちろん大会の継続を最優先に考えました。正直、規模を小さくするとか(開催を)休むとか、いろんな形を考えました」と苦しかった状況を明かすのは、昨年3月にPGA会長に就任した明神正嗣氏。理事を中心にスポンサー探しに奔走し続けた。

一方、センコーGHD側は〈従業員が健康で幸せな生涯を送って欲しいという願いの下、仕事以外に人生を豊かにする活動を通じた人との交流を持つきっかけとして〉さまざまな部活動を奨励。16年に創部したゴルフ部からは、環境を生かして徳永歩がプロテストに合格している。
21年に蒲生GCをグループに迎えると、23年から3年間、有村智恵が中心となった30代以上の女子プロイベント、「LADY GO CUP」を3年続けて開催。さらなるイベント開催に意欲を持っていた。
「オーガスタ(ナショナルGC)にマスターズを見に行ったことがあるんです。素晴らしかった。それを見て、蒲生GCでも(大会を)、と」(福田泰久社長)というところに、日本プロのスポンサーを探しているという話が舞い込んできた。
スポンサー探しに苦労し、考え方を変えて大会継続を願ったPGAと、蒲生GCで大会を続けたいと考えたセンコーGHDの思惑が一致。日本最古の大会サポートには、長期契約の気配も漂っている。
もちろん理想は冠スポンサーに頼らない形だ。PGAがより土台をしっかりさせて大会の興行収入を上げるようにすることと並行して、多くのスポンサーを集める。
日本最古のトーナメント、そして公式戦としてどっしりとした形で日本プロゴルフ選手権を開催できることを目指すのだろう。
とりあえず大会中断や縮小の危機は免れた。これを今後にどう生かしていくかは、明神会長を中心とした現体制の手腕にかかっている。
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