- ゴルフのニュース|総合ゴルフ情報サイト
- 記事一覧
- コラム
- 松山英樹の登場まで破られなかった6年連続予選通過 王貞治も偲ぶ“ダウンブローの神様”陳清波とマスターズの不思議な縁
松山英樹の登場まで破られなかった6年連続予選通過 王貞治も偲ぶ“ダウンブローの神様”陳清波とマスターズの不思議な縁
今年1月14日に他界した陳清波プロ(享年93)の「お別れの会」が2025年3月17日、東京都千代田区の東京會館でしめやかに営まれ、240人の参列者が故人を偲びました。陳プロには今週開催される“春の祭典”マスターズと浅からぬ縁があります。
50時間以上の旅路はまさに“遥かなるオーガスタ”だった
富士山、河口湖、そして遥かなるオーガスタ。祭壇にも、レジェンドの“ゴルフ愛”が随所に散りばめられていました。“東洋のベン・ホーガン”と呼ばれ、今年1月14日に他界した陳清波プロ(享年93)の「お別れの会」が2025年3月17日、東京都千代田区の東京會館でしめやかに営まれ、240人の参列者が故人を偲びました。

“春の祭典”マスターズの開幕が迫っています。2021年に松山英樹プロが東洋人として初の制覇を成し遂げ、日本のファンにもすっかり身近な大会となりました。しかし陳清波プロが初めて訪れた62年前となると、そこはまさに「遥かなるオーガスタ」の言葉通り、東洋のプロには縁遠い場所でした。
日本からの初出場は、1936年の戸田藤一郎プロと陳清水プロ。その後第二次世界大戦などもあり、22年間出場はありませんでした。
霞ヶ関カンツリー倶楽部で行われたカナダカップ(後のワールドカップ)で団体優勝した日本チームの中村寅吉プロと小野光一プロが、翌1958年のマスターズ出場を果たします。
それからまた4大会出場がなく、1963年大会にオーガスタの地を踏んだのが陳プロと2度目の出場となる小野プロでした。
1954年に台湾の淡水GC(現・台湾GC)から、同じ台湾出身で川奈ホテルゴルフコースにいた陳清水プロの指導を受けるため初来日。1959年に東京ゴルフ倶楽部の所属となり、この年、相模原ゴルフクラブで行われた日本オープンで優勝。翌年の日本オープン(廣野ゴルフ倶楽部)も最終日、2位に3打差をつけてホールアウトしたものの、スコア誤記による失格の憂き目にも遭いました。
この件について、筆者は3年ほど前に陳プロから直接聞いたことがありますが、サバサバとした口調でこう振り返ってくれました。
「2連覇でしょ? ホールアウトした直後、大変な騒ぎになったんです。報道陣ともいろいろと話しているうちに、ろくにスコアを確認しないまま、サインして出してしまった」
現在では考えられないことですが、当時は快挙達成で大盛り上がりとなり、そこに陳プロも巻き込まれ、アテスト前だというのに報道陣の囲み取材まで始まってしまったというわけです。その結果がスコア誤記。あまりにショッキングな結末でしたが、「その後(スコア)誤記はなくなったし、報道陣も取材の仕方を考えてくれるようになりました。ゴルフ界も変わったわけで、そういう意味では良かったと思いますね」と、明るい口調で振り返ってくれました。
このエピソードにはもう一つ裏話がありました。「マーカーの小野光一さんと、優勝した小針春芳さんが、お金を出し合ってカシミアのジャケットをプレゼントしてくれたんです。それは私も目にしています」(次男の清水亮地=あきじさん)。

こんな衝撃的な敗戦にもかかわらず、1962年には関東オープンで優勝。すでに1956年からはカナダカップの台湾代表に定着していたこともあり、翌年にオーガスタの土を踏むことになるわけです。
日本からドア・トゥ・ドアで50時間以上。直行便なら13時間弱で行ける現在と違い、乗り継ぎも2回要したとか。それでもこの年、陳氏は時差ボケもものともせず、初挑戦ながら東洋勢としてはベストフィニッシュ(当時)となる15位に入ります。しかもこの年から6年連続して予選を通過しています。
この記録がいかにすごいか。後に青木功プロ、尾崎将司プロ、中嶋常幸プロら多くの日本勢がオーガスタの地を踏みましたが、こうした実力者たちも読み切れない風に翻弄されるなどして予選落ちを避けることはできていません。
2021年に松山プロが7年連続の予選通過を果たして優勝するまでの53年間、日本勢はこの連続予選通過記録を超えることはできずにいたのです(松山プロは昨年まで10年連続の予選通過記録を更新中)。
現役プレーヤーとしてマスターズに出場しなくなってからも、陳プロはマスターズの実況解説者として放送席からオーガスタの素晴らしさを伝え続けます。さらにその後もオーガスタとの縁は続きました。
長男の清水俊充さんと次男の亮地さんはともに成蹊大学を卒業し、ゴルフ界に就職しました。俊充さんはミズノへ、亮地さんはブリヂストンスポーツへ。ともにメーカーのプロ担当として、選手のサポートをするためにオーガスタの地を踏むことになります。
- 1
- 2
最新の記事
pick up
ranking