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- ジャンボ尾崎「お別れの会」に各界著名人が参列 “ライバル”青木功と“相棒”佐野木氏が弔辞
昨年の12月23日に亡くなった“ジャンボ”こと尾崎将司氏のお別れの会が3月16日、東京都千代田区の帝国ホテルで行われた。
青木功は「お前さん」、佐野木氏は「ジャン兄」と語りかける
3月16日、帝国ホテル(東京都千代田区)で行われた「尾崎将司 お別れの会」は、通算113勝(うちツアー94勝)の実績と記憶に残るプレーぶりのジャンボらしく、スケールの大きなものだった。
昨年12月23日に亡くなったジャンボこと尾崎将司氏の“最後のステージ”は、富士山をかたどった大きな祭壇に、最後の優勝となった2002年全日空オープンでの雄姿の遺影。自らの楽曲『少年のときめきで』の歌声も流れる中、多くの人々が足を運び、故人をしのんだ。
発起人代表の青木功が「ジャンボの弔事をすることなど考えてもいなかったよ。大切な戦友を失い、深い悲しみ、大きな喪失感でいっぱい」と切り出した弔辞は、自らとの関係を深掘りしたものだった。
「ある時『お前さんがいなかったら、俺はとっくに終わっていた』と言ったけど、本当にその通りだったんだよ」と吐露した後「本当に俺のライバルだからな」と締めくくった。

もう一人、弔事を読んだのが、出身地・徳島県宍喰町(現海陽町)の1歳下の幼馴染、佐野木計至(さのき・かずし)氏だ。「産婆さん(助産師)も一緒」(佐野木氏)という2人は、徳島海南高時代、野球部の先輩後輩でもあり、共に甲子園優勝も経験している。ゴルフ界に転じてからはエースキャディーとしても共に戦った。
「ジャン兄」と、ジャンボの弟たち、健夫、直道らとともに呼んでいたように話しかけ、ジャンボがスランプの時に呼び出され、復活を誓う言葉を聞いたこと。そのために大きな試合ではキャディーをするように言われたことを振り返った。
しめくくりも数々の名勝負をサポートした“相棒”らしいもの。「私が行くまでは、すみませんがセルフカートで待っていてください。ジャン兄、最後まで媚びることのない男の戦う姿を見せてくれました。不屈の勝負師でしたね」と、聞く者の耳に在りし日のジャンボをよみがえらせた。まさにゆりかごから墓場までという2人の関係が伝わってくるものだった。

喪主の長男・智春氏と弟2人らの親族に続き、出席者が次々に献花。中嶋常幸、倉本昌弘、樋口久子、岡本綾子、芹澤信雄、藤田寛之、丸山茂樹、片山晋呉、石川遼、発起人に名を連ねる選手会長・阿久津未来也は、現役選手代表しての参列だ。もちろん飯合肇を筆頭にジャンボ軍団の面々も祈りを捧げた。
晩年、ジャンボが力を注いだジャンボ尾崎ゴルフアカデミーの卒業生で、昨年JLPGAツアーの年間女王となり、その報告が間に合った佐久間朱莉は家族葬にも出席しており、この日も姿を見せた。26年開幕戦での優勝も、あらためて報告したに違いない。
付き合いの広いジャンボらしく、他業界からの参列も多くみられた。かつてジャンボが身を置いた野球界から王貞治氏、山本浩二氏、田淵幸一氏、江本孟紀氏、芸能界からは、なべおさみ氏、松山千春氏などが次々に遺影を見上げ、在りし日のジャンボとの思い出を振り返っていた。
約1000人が出席した午前中のお別れの会の後、午後からは一般献花が行われ、ファンら約1000人(いずれも公式発表)が集まった。中には往年のジャンボのヘアスタイル、ウエア姿の人もおり、その人気をあらためて感じさせた。
取材・文/小川淳子
ゴルフジャーナリスト。1988年東京スポーツ入社。10年間ゴルフ担当記者として日米欧のトーナメントを取材する。1999年4月よりフリーランスとしてゴルフ雑誌やネットメディアなどに幅広く寄稿。
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