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- “セクシークイーン”アン・シネを追いかけた大観衆 日本ツアーを揺らした熱狂と知られざる苦悩
タトゥー騒動で遅れた日本デビュー、史上最多級のギャラリー熱狂、過密取材とプレッシャー――アン・シネが17年の社会現象となった日本ツアーの真相を語った。
始まりは「タトゥー騒動」だった
「アンニョンハセヨ〜! オヒサシブリです!」
ソウル・江南(カンナム)。打ち合わせの時間ぴったりに現れたアン・シネは、引退後も変わらぬスタイルを保ち、装いも相変わらずスタイリッシュだった。
「“セクシークイーン”がやってくる!」――。抜群のスタイルでタイトなウェアとミニスカートを着こなす話題の韓国選手が日本ツアーへ。見た目とは裏腹に、試合後の誠実なファンサービスも話題となり、大勢のギャラリーが押し寄せた。彼女の一挙手一投足をカメラマンが追い、ネット記事やSNSはざわつき、女子ツアーの“空気”を変えていった。台風のように過ぎ去った“社会現象”を記憶しているゴルフファンも多いだろう。2024年9月の引退から約1年半。アン・シネに、日本ツアーと歩んだ激動の記録を振り返ってもらった。(韓国・ソウル/キム・ミョンウ)

「本当は、3月の沖縄(ダイキンオーキッドレディス)から出る準備をしていたんです。でも、ダメだと言われてしまって……」
その始まりは、華々しい幕開けではなかった。韓国ツアー通算3勝の“セクシークイーン”の日本デビューは、「タトゥー騒動」という想定外のトラブルから始まった。
17年の開幕戦「ダイキンオーキッドレディス」への準備は整い、気持ちも作っていた。だが、そこで日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)から告げられたのは“ストップ”だった。足首にあった小さな「星」のタトゥーが規定に抵触し、出場が認められなかったのだ。これは、引退した今だからこそ語れる話題でもある。
もちろん当時は何があったのかを公にすることはできなかったが、母国・韓国ではこの事実が報じられていた。巷でも知る人は知っていたと記憶している。日本のファンやメディアが彼女の姿を待ち望む中で、「何があったのか?」とざわつくのは当然だった。アン・シネは、その現実を受け入れるところから日本ツアーを始めることになった。
「正直、少し戸惑いました。でも不満を口にするのではなく、『わかりました。規定を守って、できるだけ早く消します』と。ただ、タトゥーを消す施術は本当に時間がかかるんです。一度で消えるものではないし、皮膚が回復するのを待たなければならないし……」
問題は、その選択が想像以上の時間を要求したことだった。施術は痛みを伴い、回復にも時間がかかる。競技者としての準備に加え、身体のケアが別の意味を持ちはじめた。そして当時最も苦しかったのは、その理由を公にできなかったことだという。
「ファンの方々が待っているのは分かっていました。でも『タトゥーのせいで出られません』とは言えません。ずっと延期を繰り返す日々は、精神的にもきつかった。その間、日本の協会へも直接出向きましたが、『まだ少し見えるのでダメです』と……。それで初戦が5月の『ワールドレディスサロンパスカップ』で許可が出ました。『いつ来るの?』というファンの雰囲気がピークに達していたからか、あの日の大観衆の熱気は一生忘れられません」
待つ時間が長いほど期待は大きくなる。騒動は彼女の足を止めたが、同時に人々の想像と渇望を膨らませ、会場の熱量を極限まで高めたのは間違いない。
「ファンの期待に応える」と決めていた

17年「ワールドレディスサロンパスカップ」は、大ギャラリーが押し寄せた大会として記憶されている。大会日程がゴールデンウィークと重なり、4日間累計のギャラリー数は大会史上最多となる4万1484人を記録。初日はツアー史上最多となる1万3097人を動員した。
今大会が国内デビューとなったアン・シネ、2年連続賞金女王で人気絶頂だった イ・ボミ、大会連覇を目指した レキシー・トンプソン、2年ぶりにツアーへ姿を見せた 宮里藍 など華やかなフィールドだったが、アン・シネを追うギャラリーは日に日に増えていった。
新聞やネットのタイトルには“膝上30センチ”の超ミニスカート、スタイルを強調したタイトなウェアの写真が掲載され、男性ファンを釘付けにした。カメラを向けられれば手を振り、笑顔を見せる姿が印象的だった。
「とにかく、やっと日本ツアーに出られたという安堵感、そしてうれしさもありました。大勢のギャラリーの中でプレーできて、すべてがいい思い出です」
とはいえ、その注目度は試合を重ねるごとに増していった。もちろんゴルフ以外の部分でも多忙を極めた。
「試合を終えると、成績の良し悪しに関係なく毎回囲み取材の要請があって驚きました。韓国では成績のいい選手だけが会見をするスタイルでしたから。それにプロアマ、前夜祭、テレビ出演のオファーもありました。出版社から写真集の話もありました。ゴルフとのバランスを取るのが本当に大変でした」
通常の注目選手とは違い、ゴルフで結果を出す前から別の場所で時間を取られることが多かった。新鮮さや楽しさもあった一方で、笑顔の裏で苦しんでもいたと正直に吐露した。
「注目されることへの感謝の気持ちはすごくありました。でも、練習したい時間にインタビューが入り、リカバリーしたい時間にテレビ収録もありましたから、それはもう大変でしたよ」
注目度の高さゆえ、こんな出来事にも遭遇した。
「移動中の新幹線で、窓の外に富士山が見えて『綺麗だな』と思ってSNSにアップすると、その数十分後、駅の出口にファンの方が待っていたんです。旅館の前に一眼レフを持った方々もいて。驚きますよね、『どうしてここが分かったの?』って。ありがたいけれど、どこかで常に誰かに見られている感覚で、試合に集中するのが難しい時期もありました」
限界を見せないよう、常に笑うことも“仕事”になっていった。それでも彼女はすべてをこなした。むしろ「最後までファンの期待に応える」と決めていたという。
サイン300人、「最後の一人まで」
「サインは最後の一人まで書くと決めていました。多い時は一度に300人以上のギャラリーにサインした記憶があります。暑い中、遠いところから来て、傘も差さずに待ってくれている人たちを無視して帰れなかったんです」
サイン会の列は、ただの人気の証明ではない。時間、体力、集中力の消耗でもある。だが、そこから逃げないと決めた背景には、“韓国人選手”としての緊張感もあった。
「自分の一つの行動で、韓国選手である私のイメージも決まってしまいますから」
そして彼女が日本に残したものは、単なるビジュアルのインパクトだけではない。
日本ツアーの空気を変えた

「私が日本に来た当時、日本の選手たちはまだウェアやメイクも控えめで、『スポーツ選手が着飾るなんて』という空気があったかもしれません。でも、メイクを楽しんだり、好きなウェアでファッションを表現したりするのは個性の一つだと思います。韓国の選手たちが日本ツアーに行ってからは、周囲の認識も少しずつ変わったと聞きました。今は日本の選手もみんなおしゃれで、自分を磨くことに熱心ですよね。時代が変わるきっかけを少しは作れたのかな?」
ゴルフは技術とスコアだけではなく、ツアーという興行の中で「見られること」「憧れられること」「応援されること」も価値になる。アン・シネが持ち込んだのは、短いスカートそのものではなく、自分を磨くことを肯定する価値観だった。
だが、17年の熱狂は長く続かなかった。むしろ、その後に訪れたのは言いようのない断絶だった。
コロナ禍で
アン・シネは日本1年目の17年に14試合、18年は6試合の出場にとどまり、上位争いには絡めなかった。19年も21試合に出場したがシード獲得には至らず、ここで日本のプロテスト受験を決意する。正会員資格がなければQT受験ができない制度へ変更されたためだ。
背水の陣で挑んだプロテストを15位で突破し、同年のQTもクリア。ようやく手にした2020年シーズンのフル参戦。実はこの時、ひとつの覚悟が固まっていた。
「もともと2020年を最後の1年にしようと心に決めていました。全力で日本ツアーを走り抜いて、最高の形で『セイ・グッバイ』を言おうって。そのために死ぬ気でトレーニングを積み、プロテストにも受かり、QTも突破しました。ついに沖縄での開幕戦に出られる……。そう期待していた矢先にコロナ禍が世界を変えてしまったんです」
“最後の一年”のために積み上げた努力。しかし世界は突然止まった。日韓を自由に行き来できず、来日には隔離期間も必要になった。
「ビザの関係で日本に入れない時期が続きました。1人での隔離期間を経てのツアー参戦も現実的ではなかったです。あの時の失望感は、それまでの人生で一番大きかったかもしれません。努力を注ぎ込んだ分、反動も大きかった。結局、日本でちゃんと挨拶できないまま静かに去ることになってしまった。それが一番の心残りでした」
多くのファンの前で開幕戦から戦う姿を見せられないまま、アン・シネの物語はいったん途切れた。熱狂のあとに残ったのは、拍手ではなく未練だった。
(後編に続く)
アン・シネ
1990年12月18日生まれ、韓国出身の女子プロゴルファー。2017年に日本ツアー初参戦すると、抜群の美貌とスタイルで注目を集め「セクシークイーン」の愛称で、日本の女子ゴルフ界に旋風を巻き起こした。
取材・文:キム・ミョンウ
1977年生まれ、大阪府出身の在日コリアン3世。新聞記者として社会・スポーツ取材など幅広い分野を担当。その後、編集プロダクションを経てフリーに転身。2010年、サッカー北朝鮮代表の南アフリカW杯出場決定後、日本メディアとして初めて平壌で代表チームを取材し、『Number』に寄稿。2011年から女子プロゴルフの取材も開始し、日韓の女子プロとも親交を深める。現在は女子ゴルフとサッカー、アスリートインタビューなどを中心に雑誌やWEB媒体に寄稿。著書に「イ・ボミ 愛される力」(光文社)。
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