「治らない病気だなんて僕は信じない」
マスターズ翌週のPGAツアーの大会はRBCヘリテージ。その開幕前、「あのモーガン・ホフマン」が923日ぶりに復帰することを知らされた私は、驚くとともに、思わず小躍りしたくなるほどのうれしさを覚えた。

2016年11月に難病の筋ジストロフィーと診断され、翌年12月に病気を公表したホフマンは「どんなこともアングルを変えて眺めれば、人生を笑顔でいっぱいにできる」と語り、ネバーギブアップの精神で「ありとあらゆる治療」を受けながら、ツアーに出場し続けていた。
しかし、筋力や感覚が衰え、19年秋のシュライナーズホスピタルズ・フォー・チルドレン・オープンを最後に、ついに戦線離脱。それでも彼は「筋ジストロフィーが治らない病気だなんて僕は信じない。絶対に諦めない」という言葉を残し、ツアーから離れていった。
その後、彼の近況がニュースになることはなく、忘れられた存在となりつつあった。
そんなホフマンがPGAツアーに戻ってくるという知らせには、驚かされると同時に、心の底から、うれしく思った。
壮絶な交通事故から14カ月でマスターズ出場を果たしたタイガー・ウッズの復帰は、まさに奇跡だったが、ホフマンの復帰も奇跡としか言いようがない。そんな彼の驚くばかりのミラクルストーリーを、是非とも、みなさんに知っていただきたい。
「だから、僕はとてもラッキー」
アメリカには、アスリートが自分の想いを自分で綴って発信する「プレーヤー・トリビューン」という“アスリート新聞”のようなウェブサイトがある。
ホフマンがその場を利用して、自身の病気と胸の内を人々に示したのは、17年12月のこと。彼が記した記事には「だから、僕はとてもラッキー」という見出しが付されており、彼は一体どんな幸運を綴っているのだろうかと私は興味津々で読み始め、どんどん引き込まれ、最後には胸が震えた。
かつて世界アマチュアランキング1位まで上り詰めたホフマンは、名門オクラホマ州立大学を卒業後、11年にプロ転向。そのころから、スイングスピードが徐々に落ちていると感じ、「25人ものドクターに診てもらったが、原因は分からなかった」。
肉体に異常や不安を覚えながらも、ホフマンは13年にPGAツアーにデビュー。2015年にはマスターズ初出場も果たし、「初優勝は、もうすぐそこまで来ている」と感じていた矢先の16年11月、彼は筋ジストロフィーと診断された。
「筋肉が萎縮し、筋力が低下していく難病だ。歩行や呼吸、食べ物を飲み込むことが困難になる人もいるそうだ。僕は今、右胸の筋力がほぼ失われ、まったく力が入らない。すぐに命が危うくなる状態ではないそうだが、そうなる可能性もあり、症状が悪化していくスピードや広がり方を測る術もない」
ホフマンは、そう綴っていた。しかし彼は途方に暮れる代わりに、難病に闘いを挑んだ。
「米ツアーで勝つという僕の夢を、病気なんかに奪わせたりはしない」
そして、筋ジストロフィーを1人でも多くの人々に知ってもらい、治療法の研究開発のための寄付を募る財団を妻とともに自ら創設。故郷のニュージャージー州ではチャリティートーナメントも開催。ホフマン自身も参加し、150万ドルの寄付金が集まったそうだ。
「ドクターたちは研究や実験を進めてくれている。絶対に望みは捨てない。どんなこともアングルを変えて眺めれば、人生を笑顔でいっぱいにすることができる。そうすることが、僕がこの地球上に生を受け、存在している意味。それができる僕は、だからとてもラッキーだ」
800粒のブドウを17日間食べ続ける
19年のシュライナーズホスピタルズ・フォー・チルドレン・オープン出場後、戦線から離脱したホフマンは「世の中には信じられないことがたくさん起こる。ウソみたいな素敵な話をいくつも聞いた。この病気を治したい。治してからツアーに戻り、僕のカムバックストーリーを大きな声で語りたい」と語り、ハーブ油をためたバスタブに浸かっては出ることを90日間繰り返すなどの“治療”を受け始めた。
以後、ホフマンの消息は伝わってこなくなったのだが、それからの彼は、大学時代からチャリティーゴルフを通じて親交があったネパールへ渡り、さらなる“治療”に挑んだそうだ。
1日800粒のブドウを17日間、食べ続けた。その後の90日間は自分が排泄した尿をマウスウォッシュ代わりにして口をすすいだという。さらには、幻覚作用もあるさまざまな薬草を混ぜ合わせたものを燻して吸引すること、4日間。
近代の西洋医学に照らせば、それらを“治療”と呼ぶべきではないのかもしれない。だが、ホフマンは、それらを信じ、挑み続けた。
「もう一度、大好きなゴルフがしたい一心だった。難病と診断されても回復への道はある。西洋医学以外にも、きっと道はある」
ネパールを離れたホフマン夫妻は20年からは中米コスタリカへ渡り、ジャングルの中の小さな家で3匹の犬、2匹の猫とともに心穏やかな日々を過ごし始めた。
ネパールで受けた“治療”の効果は歴然だったそうで、ホフマンは心身ともに回復を実感していたという。
「筋力も感覚もどんどん戻り始め、戦線復帰できるという予感は確信に変わった。それからは毎日が復帰へのテストプロセスになった」
テストプロセス――カムバックへ向けて、1歩1歩、試していく歩み。それは、マスターズ開幕前のウッズから聞かれたものと、そっくりの言葉だった。
最強の奇跡の男
今、ホフマン夫妻は共通の夢を抱いているという。筋ジストロフィーと診断された人々のためのウエルネスセンターを創設することだそうだ。
「筋ジストロフィーは難病と言われているけど、西洋医学以外にも回復への道はあるということを伝えたい。筋ジストロフィーと診断された人々にも輝く未来はちゃんとあるということを伝えたい。そのための施設をつくりたい」
ウエルネス・センターの名称もすでに考えており、「Nekawa」と名付けるつもりだそうだ。「目覚め」を意味する「awaken」を逆から綴った言葉だ。
そして、ホフマンが目指している当面のゴールは、再びシード選手に戻ることだ。
公傷制度が適用されているホフマンは、今年2月半ばのザ・ホンダクラシックが復帰戦になる予定だったが、昨年12月にバイクに乗って治療に向かう途上、転倒して肋骨を痛めたため、2カ月ほど復帰が遅れたそうだ。
バイクを乗り回せるほど回復していると聞いただけでも驚かされるが、ホフマンは「体力づくりや治療も兼ねてサーフィンもやっていて、とても楽しい」。
復帰戦となったRBCヘリテージ開幕前、会見でそう語ったホフマンは、以前とは少し雰囲気が変わっていた。
ナイーブだった表情には野性味が加わり、ロングヘアをなびかせたり、結んだり。すっかりワイルドに変身したホフマンは、しかし充実感と達成感と喜びに満ち溢れていた。
「またゴルフができる。試合で戦える。まるで12歳の子どもがジュニアの大会に出ているような感覚だ」
久しぶりの戦線復帰とは思えないほど、ショットは安定しており、初日は71と上々の滑り出しだった。パーオン率は80%。ドライバーの飛距離は275ヤードをマークしたホールもあった。残念ながら予選通過には1打及ばなかったが、「十分戦える」と自他ともに認めた彼のプレーぶりは、まさに奇跡としか言いようがない。
公傷制度下のホフマンがシード権を取り戻すためのチャンスは3試合。「それでダメだったら、さらに推薦をもらって出場する。推薦がもらえなかったら、マンデー予選から挑んで試合に出る。それでダメだったら、下部ツアーに出る。僕は絶対に諦めない」
まさに、ホフマンは「最強の奇跡の男」だ。