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- 祝われる側が金を払う“謎の風習”はなぜ生まれた?「ホールインワン」にまつわる仰天歴史
ゴルファーなら一生に一度は達成したい「ホールインワン」。しかし、不思議なのは普通なら祝われる側の本人がお金を出して周りに振る舞わなくてはならない謎の風習です。「ホールインワン」の歴史を紐解いてみると……。
日本人初のホールインワン達成者はあのイタリアンの名店の…
ゴルフの醍醐味の一つに数えられるのが、ティーショットを1発でカップに叩き込むホールインワン。では日本で初めてこの快挙を達成したのは誰なのか。歴史をさかのぼってみると、確認できるのが日本最古のゴルフ場である神戸ゴルフ倶楽部にあるホールインワンの記録。E・F・ドーフリンガーというゴルファーが1905年に旧コースの3番ホールで達成したとあります。これがクラブの公式記録に残された日本最古のホールインワン記録ということになります。
では、初めてホールインワンを達成した日本人は? ということになると、このボードの13番目に出てくる「S・KAWAZOE」さんが有力です。ボードを見る限りファーストネームはSとしか分かりませんが、取材の過程で新事実が判明しました。じつはこの「KAWAZOE」さん、東京・飯倉片町にある有名レストラン「キャンティ」のオーナーである川添隆太郎さんの曾祖父である可能性が高まっているのです。
「以前、父から『私のおじいさんが、日本で一番古いゴルフ場でホールインワンをしたと言っていたんだ』と聞かされました。父のおじいさんですから、私のひいおじいさんになるわけですが、その名前は清いに磨と書いて『せいま』と読むのか『きよま』と読むのかがはっきりしないのです。『せいま』であれば、このボードに載っているSに符号しますが、仮に『きよま』であったら別人でしょう。その確証がないんです」
川添さんのお父様が、清磨さんから直接聞いたという証言がある以上、このホールインワンが川添清磨さんによるものだという可能性は高いと言えるでしょう。そこで取締役をしていた三菱銀行(現三菱UFJ銀行)の広報部に調査を依頼しましたが「調べてみましたが、読みまでは分かりませんでした」という回答でした。
神戸GCは1903年に日本最古のゴルフ場として設立されていますが、1904年に横屋GA(神戸)、1906年に根岸GC、1913年に長崎県雲仙ゴルフ場、1914年に東京GC駒沢コース、鳴尾GA、1917年に仙石GCが開場しました。川添さんがホールインワンを達成した1917年までに7コースが誕生しているわけです。
そこで順を追って確認しました。横屋GAと鳴尾GAの流れを汲む鳴尾GCの関係者に確認しましたが、記録は残っていないとの回答。根岸GCと駒沢に関しては関東ゴルフ連盟広報参与の福島靖さんに確認しましたが、この時期のホールインワンの記録は、ないとのことでした。また、雲仙ゴルフ場と富士屋ホテル仙石ゴルフコースはいずれもパブリック。1917年までのホールインワンの記録はないことが判明しています。あくまで記録が残っている中では、との注釈は付きますが、現時点で川添さんが日本最古のホールインワン達成者であることは間違いなさそうです。
女性の初ホールインワンとなりますと、世界的なゴルフ古書収集家で「日本のゴルフ史」の著者でもある西村貫一氏の妻・マサさんが有力です。17番で演じたホールインワンが、日本人女性としては初だったと、「Golf Club」に書かれていますが、残念なことに日付が書かれていません。
また、神戸GCの1番ホールには「ダンピー」という呼び名が付いています。これは創設者のアーサー・ヘスケス・グルームが愛飲していたスコッチウイスキーの名前。このホールでホールインワンをした場合、ダンピーを1ダース贈呈すると決めたことから、この名が付けられたとされています。
英国のウイスキーを振る舞う習慣が日本でエスカレート
ホールインワンをした場合、そのゴルフ場で仲間と一緒に祝杯を挙げ、その支払いはホールインワンを達成した本人というのが、ゴルフの本場英国での習わしだったと証言した日本人がいます。広瀬義忠さんです。ゴルフマガジンの元編集長、塩田正さんによれば「広瀬さんがイギリスからお帰りになった時『スコットランドでホールインワンをすると、みんなにおごらなくちゃいけないから、大変なんだよ』と話していたそうです。
イギリスでも、日本でも、当初のお祝いはその程度だったようです。しかし現在の日本ではホールインワンをした人が自腹で記念品を贈ったり、パーティーを開いたりして、多くのゴルファーが出費を強いられるという、独自のホールインワン文化が定着しています。
その発端はどこにあったのでしょうか。前出の塩田さんが、こう証言してくれました。
「1957年のカナダカップで中村寅吉と小野光一が団体優勝、中村が個人優勝をした時に、ゴルフブームが起こります。それでゴルフマガジンでもホールインワン達成者の名前を囲みで載せて、ご本人にトロフィーを贈ったんです。始めた頃の該当者は毎月2、3人程度でしたが、そのうちにどんどん増えていったため、途中でやめたことを記憶しています。カナダカップは1966年に再び日本(東京よみうりCC)で開催されますが、そのあたりからでしょうね。ゴルフ仲間に記念品を贈るようになったのは」
そうした風習が徐々にエスカレート。ホールインワンをしただけで20万円、30万円の出費を強いられているケースが増えていると聞き、ゴルファー保険に「ホールインワン保険」を特約として初めて付けたのが共栄火災。競技者やキャディーなどにけがをさせた場合や、クラブの破損などを補償するだけでなく、ホールインワンをした場合のお祝い金まで出るとあって、ゴルファーたちの支持を集めました。
「ゴルフの普及が目覚ましく大衆スポーツ化が進み、それに並行してホールインワンをした場合に記念品の贈呈とか祝賀会の開催とかの行事に一定の費用がかかり、需要が高まっているため商品を開発したという経緯です。1982年に発売した当時は保険金20万円の場合、年間の保険料が1200円、30万円の場合1800円だったという記録があります」(共栄火災担当者の話)
世界初の「ホールインワン無人確認機」稼働実績は?
ホールインワン保険の「初めて物語」の次は日本にゴルフトーナメントを根付かせた功労者である大西久光氏の仰天エピソード。
「1997年に『ダンロップゴルフメイトクラブ』というのを作ったんです。ホールインワンをしたら20万円が出て、ダンロップから記念品が贈られるんです。ところがその第1号と第2号を、作った私がいただくことになってしまって……」
大西氏は1996、97年とマスターズの日本に向けた放送の解説を務めていました。「事件」は1997年の春に起きます。「渡米前にサイプレス(ザ・サイプレスGC=兵庫県丹波市)の7番ホールでホールインワンをしたんです。それから帰国してすぐ、廣野(GC=兵庫県三木市)の7番ホールでもホールインワン。いずれも7番のボールを使っていました。2週足らずの間に、ホールインワンを2回で、しかも7づくめ。自分でも驚きました」
最後に登場する「初物」はセルフプレー時代にマッチした世界初「ホールインワン無人確認機」。ティーイングエリアからグリーンまで映すことのできる高性能カメラによって、ホールインワンを確認することができる仕組みです。これを導入したのは、キャディーが常駐していない伊豆大島リゾートGC(東京都大島町)。
キャディーに代わってカメラがホールインワンを証明してくれる。しかしホールインワン無人確認機が昨年8月に設置されてから今年の5月31日現在まで、同ゴルフ場ではホールインワン達成者は出ておらず、ホールインワン無人確認機が活躍する機会は訪れていません。
取材・文/小川朗
日本ゴルフジャーナリスト協会会長。東京スポーツ新聞社「世界一速いゴルフ速報」の海外特派員として男女メジャーなど通算300試合以上を取材。同社で運動部長、文化部長、広告局長を歴任後独立。東京運動記者クラブ会友。新聞、雑誌、ネットメディアに幅広く寄稿。(一社)終活カウンセラー協会の終活認定講師、終活ジャーナリストとしての顔も持つ。日本自殺予防学会会員。(株)清流舎代表取締役。
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