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- 金田久美子 取材が大嫌いだった“天才少女”時代 父との暮らしに反抗期も【キンクミの#熟女じゃねぇし!】
女子プロゴルファーの“キンクミ”こと金田久美子。派手なファッションから“ギャルファー”と呼ばれますが、その外見からは想像もできないほどゴルフにストイックです。そんな彼女の新連載がスタート。幼少期やツアーの話、プライベートまで様々なテーマで本音を語ります!(構成:キム・ミョンウ)
意味が分からなかった「プロになりたい?」の質問
連載2回目ということで、幼少期の話をしてみようと思います。あまりこういう話をする機会もないのですが、本当に子どもの頃はいろいろありました。
ゴルフを始めたのは3歳から。ゴルフ好きのお父さん(弘吉さん)の影響で、気づいたらやっていた感じでした。私が生まれる前からゴルフをさせるつもりで、ジュニアのクラブを買って用意していたくらいですから(笑)。
お父さんは自分の子どもが女の子だったら、絶対にゴルフをさせるって決めていたみたいです。理由は男子よりも女子のほうが成功する可能性があるからだって言っていました。
そんな感じで始めたゴルフですが、もう物心ついた頃にはめちゃくちゃ嫌いでした。嫌いだけれど、やめる選択肢なんてなかった。
子どもの頃、取材で来る人たちに「プロになりたい? どんなプロになりたいですか?」ってよく聞かれていましたが、「この人は一体、何を言っているんだろう?」って思っていて、意味が分からなかったんです。だって、ゴルフをしている人はみんなプロを目指していると思っていたし、お父さんもプロを目指さないんだったら、ゴルフなんてさせるわけないって考えの人だったから。
例えば、お父さんは子どもにピアノをやらせるにしても、ただの習い事じゃダメで、究めるならやっていいという頑固な考えの人。「プロになりたい?」=「ご飯食べてる?」っていう感じで、当たり前にしているくらいの意味だったんです。
で、お父さんは「ゴルフが嫌ならやめろ」って言うので、そしたら私は結局「やめたくない」ってなる。それこそ、別れる別れないのカップルみたいなことの繰り返し(笑)。私からゴルフをやめたいと言ったことは一度もなくて、そうやってずっと続けてきました。
世界ジュニアで勝った頃の家庭環境
私が小学5年生の頃、両親が離婚しました。私はお母さん子でした。でも、そこからお父さんとの暮らしが始まったのですが、ゴルフをするときもずっと一緒なので、たくさん反抗期がありました。
一緒だった4年くらいは辛かったというか、女子にはお父さんが嫌な時期ってありますよね? 今はもちろん大好きだし、その時も好きな一面もあったんでしょうけれど、ゴルフのことになるとすごくうるさくて……。
小学6年生のとき家庭はかなりぐちゃぐちゃな感じで辛かったですが、それでもゴルフだけは毎日、ものすごい練習をしていました。その前は世界ジュニアに出て、8歳の時に優勝するんですが、“天才少女”ってこの時から言われ始めて、メディアとか周囲の騒ぎぶりも重なって、もう何がなんだか分からない感じでした。
いま思うと、あの時の私は取材されるのも、カメラで撮られるのもめっちゃ嫌いでした。人から声をかけられるのも嫌で……。基本的にすごく恥ずかしがり屋なんです。友人の結婚式のスピーチを任されたときもガタガタ手が震えるし、恥ずかしくなって人前でしゃべれなくなるんです。でもゴルフになったら違うんですよね。誰が見ていてもそこは関係ないので、不思議です。
でも、世界ジュニアに勝ってから、タイガー・ウッズの記録に並んだって今でも紹介されるは本当にうれしいです。タイガーに憧れてゴルフをしていたので、そうやって今でも忘れられずにいるのは本当にありがたいことです。
中学、高校時代もいろいろなことがありましたが、それは次回にお話しようと思います。ここでもお父さんとの話はまだまだ続きます(笑)。
金田 久美子(かねだ・くみこ)
1989年生まれ、愛知県名古屋市出身。3歳からゴルフを始め、8歳の時には世界ジュニア選手権で優勝。タイガー・ウッズに並ぶ記録で“天才少女”として注目を浴びる。アマチュアとして出場した2002年のリゾートトラストレディスで、12歳9カ月での最年少予選通過記録を樹立。08年のプロテスト初挑戦は1打足りずに不合格も、同年のファイナルQTをトップ通過してツアー出場権を得る。プロ3年目のフジサンケイレディスクラシックで初優勝。愛称は“キンクミ”。その風貌から“ギャルファー”の異名を取った。スタンレー電気所属。
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