しぶとく決めた17番のバーディーパット
◆国内男子ゴルフ<バンテリン東海クラシック 9月28日~10月1日 三好カントリー倶楽部 西コース(愛知県) 7300ヤード・パー71>
最終日を金谷拓実、星野陸也との最終組でラウンドすることになった木下裕太。それを知ったとき、「(金谷選手は)最強の相手だと思いますが勝ちたいですね。星野選手もいるし、すごいメンバーですよね。本気で勉強させてもらいます」と答えていた。
金谷といえば、アマチュアながらプロの試合で優勝した経験のあるエリートゴルファーであり、ツアー5勝の25歳。星野もツアー6勝を挙げ、今季は欧州ツアーを主戦場とする27歳だ。対する木下は37歳のベテランで、5年前にマイナビABCチャンピオンシップで優勝しているものの、最終日最終組でのラウンドはそれ以来。若手2人の勢いにどこまで木下が耐えられるか注目された。

ところが、いざふたを開けてみると木下は一歩も引かない。2番パー5で金谷がバーディーを奪うと、木下もバーディー。7番パー4で首位に並んできた星野が10番パー4でバーディーを奪ったときも木下はしっかり取り返した。
3人が首位で並走して迎えた15番パー5では星野、金谷が飛距離を生かしてバーディーを奪ったが、木下もバーディー奪取で2人を先行させない。
そして迎えた17番パー4。ティーショットを刻んだ星野、金谷に対し、木下は果敢にドライバーを選択。
「自分が刻んだら絶対にバーディーを取れないと思い、迷わずドライバーを手にしました。本気で狙いで行きました」
難ホールである16番パー3で1メートルにつけるスーパーショットを放ちながら、そのバーディーパットを外した直後だけに、精神的に相当なショックがあったはずだ。しかし、木下の心は折れていなかった。
「18番パー4は今日のピン位置では自分の飛距離でバーディーを狙うのは難しい。17番で勝負を賭けるしかない」。むしろ、勝利に対する思いは冷静に、そして一層激しく燃え上がっていた。
勝負を賭けたドライバーショットは成功、ピンまで138ヤードのセカンドショットを残した。それを9番アイアンでピン右横3メートルに乗せると、しっかりとカップの中へ沈め単独首位に躍り出る。そのまま逃げ切り、見事5年ぶりのツアー通算2勝目を手にした。
一時はツアーを断念したことも
アマチュア時代の木下はまさにエリート街道を歩いていた。高2で関東ジュニアを制すると、高3では全日本パブリック選手権で優勝。ナショナルチームにも所属し、日本大学時代は国体の個人戦も制した。さらに、全国大学ゴルフ対抗戦では、池田勇太を擁する東北福祉大を下し、日大に10年ぶりの優勝をもたらす原動力にもなった。
その後、プロに転向したが、思うような結果を残せず、悶々とした日々を送る。10年から16年までは2部ツアーに出ていたが、年間の獲得賞金額が100万円を超えたのはわずかに1度だけだった。
「ツアープロだけど賞金を稼げていないし、ゴルフ場にも所属していない。心の中では自分はプロじゃないとずっと思っていました」。半分ニートみたいな生活をしていたことで、同じような境遇にいた友人たちと自虐的に、アスリートとニートを掛け合わせた“アスニート”と呼び合っていたほどだった。
しかし、知り合いのツアープロが徐々に道半ばであきらめていく姿を見ていくうちに木下も焦りを感じ、自身の進退を掛けて16年のファイナルQTに臨む。
そこで18位に入り、17年のレギュラーツアー出場権をゲット。かろうじてツアープロ人生を継続した木下は、18年のマイナビABCチャンピオンシップで初優勝を飾る。さあ、これから活躍するかと思われたが、思うような結果を残せないまま今季を迎えていた。
15試合に出場し、予選通過は8試合、最高順位は20位タイ。すでにファイナルQTの情報を集め出し、アジアンツアーのQTも受けようと思っていたところでつかんだ今回の優勝だった。
「今の日本で1位、2位といっても過言ではない選手との真っ向勝負に勝てたことはすごく自信になりました」。
土俵際の徳俵に乗らなければ本来の力を発揮できない傾向はあるが、今回もうっちゃりでチャンスをモノにした木下。今回の経験を生かし、次こそは土俵中央での横綱相撲を見せてくれるに違いない。
木下 裕太(きのした・ゆうた)
1986年5月10日生まれ、千葉県出身。泉高校2年時に「関東ジュニア」で優勝、翌年には「全日本パブリック選手権」も制す。プロ入り後の2009年には下部ツアーで優勝。18年には「マイナビABCチャンピオンシップ」でツアー初優勝を果たす。2023年「バンテリン東海クラシック」でツアー通算2勝目を飾る。光莉リゾート&GOLF所属。