最初の米ツアー参戦は52年前の樋口久子と佐々木マサ子
古江彩佳が米女子ツアーメンバーとしてのデビュー戦、ゲインブリッジLPGAアット・ボカ・リオで18位とまずまずのスタートを切った。

近年は日本の若手選手が積極的に米女子ツアーに挑戦しているが、そもそも女子の海外挑戦はいつごろから始まったのか。そして、これまでの選手の米女子ツアーメンバー初戦の成績はどうだったのか。そのあたりをひも解いてみよう。
日本の女子選手が初めて米女子ツアーに参戦したのは、今から52年前、1970年だった。国内に女子プロゴルファーが誕生してから3年後のことである。
海を渡ったのは当時26歳の佐々木マサ子と24歳の樋口久子。
現在は古江らのように出場資格をかけたクオリファイングトーナメント(QT)を経てメンバーになるのが一般的なルートだが、当時はまだQTがなかった。佐々木と樋口は特別承認のような形で参戦し、最初の4試合中3試合で上位80%に入れればツアーメンバーになれるという条件。
2人は楽々この条件をクリアし、以降、10年ほど米女子ツアーで戦った。
デビュー戦の結果は樋口が11位、佐々木が33位だった。日本では無敵だった樋口だが、さすがに最初は硬くなったようで、初日の前半は42を叩いている。ただ、その後はしっかりとスコアをつくって実力の片鱗を示した。
QTが初めて行われたのは1973年のことである。日本選手のQT合格第1号は1976年に2位に入った清元登子だ。若いゴルフファンは馴染みのない名前かもしれないが、清元はアマチュア時代の1973年にプロを倒して女子ツアーに優勝するという快挙を初めて成し遂げた選手。
後に日本女子プロゴルフ協会会長を務め、不動裕理や大山志保、古閑美保の師匠としても知られている。清元はQT合格直後のデビュー戦初日に1打差2位と好発進。最終的には11位と、まずまずの位置で終えている。
デビュー戦での最上位は1打差2位と健闘した吉川なよ子
その後はQTに挑む日本選手が続き、1978年には吉川なよ子、大迫たつ子、田村一代の3人が合格。デビュー戦のアメリカン・キャンサー・ソサエティークラシックに出場した。日本風に表現すれば米国がん協会クラシックというところだ。
この大会にはデビュー戦の3人の他にすでにツアーメンバーだった3人も出ており日本選手は計6人。現在より多いくらいだ。
その中で輝いたのが当時28歳の吉川である。初日にコースレコードの67で1打差の単独首位に立つと、2日目はパープレーの72で1打差首位を維持して最終日を迎えたのだ。
最終日も最後まで優勝を争った。だが、最終ホールで1メートルのパーパットを外して、惜しくも1打差2位に終わっている。吉川は日本で29勝を挙げ、日本プロゴルフ殿堂にも入っている大選手だが、当時は初優勝前。未勝利選手が大健闘したわけだ。
これが、米女子ツアーメンバーデビュー戦での日本選手最高位である。
後に米女子ツアー賞金女王に上り詰める岡本綾子がQTをクリアしたのは1981年。実は岡本は1978年に落選しており、2度目の挑戦でつかんだ出場権だった。
岡本は4位合格。この時、トップ合格を果たしたのは森口祐子である。デビュー戦は岡本が28位で森口は67位だった。
当時の日本選手はシーズン序盤に2~3カ月ほどアメリカでプレーし、その後は日本に専念というスケジュールだった。初めて通年で戦ったのは岡本。3年目の1983年からだ。
以降は米女子ツアーメンバーになるとアメリカ中心にプレーすることが当たり前になった。
デビュー戦でトップ10に入った日本選手は既出の吉川のほか平瀬真由美、福嶋晃子、上田桃子、河本結と計5人いる。
米女子ツアーで活躍した主な選手では小林浩美が55位で宮里藍は48位、野村敏京や畑岡奈紗は予選落ちと苦戦している。やはりデビュー戦は独特の緊張感があるのだろう。古江の18位は十分に評価できる成績ではないだろうか。
さて、もう1人の米女子ツアールーキーである渋野日向子は3月3日開幕のHSBC女子世界選手権でデビュー戦を迎える予定だ。海外初挑戦だった3年前の全英女子オープンでいきなり優勝をかっさらった渋野がまた派手な話題を提供してくれるのか、楽しみである。
◇米女子ツアーメンバーデビュー戦でトップ10に入った日本選手
選手 順位 年度
吉川なよ子 2位 1978年
上田桃子 5位 2008年
平瀬真由美 6位 1996年
河本結 8位 2020年
福嶋晃子 9位 1999年