「奇妙でも悪くない人生」10年近い婚約を経て挙式したD・ジョンソンとポーリナのラブストーリー | e!Golf(イーゴルフ)|総合ゴルフ情報サイト

「奇妙でも悪くない人生」10年近い婚約を経て挙式したD・ジョンソンとポーリナのラブストーリー

元世界ランキング1位でメジャー2勝のダスティン・ジョンソンが婚約者のポーリナ・グレツキーと結婚した。2013年に婚約して10年近く。2人の人生には山も谷もあったが、いつもジョンソンの傍らにはポーリナがいた。

DJとポーリナが婚約したのは2013年の夏

 メジャー2勝、PGAツアー通算24勝、元世界ランキング1位のダスティン・ジョンソンが、4月23日にテネシー州内でフィアンセのポーリナ・グレツキーと結婚式を挙げた。

2013年、婚約した年のダスティン・ジョンソンとポーリナ・グレツキー。欧州ツアー・BMWインターナショナルオープン25周年パーティーで 写真:Getty Images

「えっ、まだ結婚していなかったの?」と驚いた人もいたことだろう。

 というのも、ジョンソンとポーリナが婚約したのは2013年夏のこと。すでに7歳になるテータムくん、4歳になるリバーくんという2人の息子もおり、ジョンソンが優勝するたびに駆け寄って熱いキスやハグを披露したポーリナの姿は多くのゴルフファンの脳裏に焼き付いているはずだ。

 なぜ、ジョンソンとポーリナが10年近くもの間、婚約状態を続け、結婚しなかったのかは、ずっと謎だった。

 ポーリナはアイスホッケー界のレジェンドであるウエイン・グレツキーの愛娘だ。偉大なる父親が娘の結婚相手としてジョンソンをなかなか認めないから結婚できないという説は、この10年近く、米ゴルフ界で囁かれ続けていたが、それはあくまでも周囲の憶測。

 そして、噂や憶測がどうであれ、ジョンソンの傍らには、いつもポーリナがいて、寡黙なジョンソンは甘い言葉を囁く代わりに、彼女や子どもたちに優しい眼差しを注ぎ続けてきた。

 メジャー2勝や世界ナンバー1の栄冠は、ジョンソンの傍らにポーリナがいたからこそ、達成されたもの。そう、ジョンソンのサクセス・ストーリーは、ポーリナとのラブ・ストーリーそのものなのだ。

「DJはチキン(臆病者)だ」

 サウスカロライナ州で生まれ育ったジョンソンは、幼いころか天才的なゴルフ少年として知られていたが、ハイスクール時代は悪友の影響を受けて警察の取り調べを受けるなどの暗い過去もあった。その後はひたすらゴルフに打ち込み、黙々と孤独な練習を重ね、そうやって彼はプロゴルファーになった。

 07年にプロ転向、08年からPGAツアー参戦開始。すぐさま初優勝を挙げ、順調に勝利を重ね始めたが、メジャー大会では優勝に王手をかけながら惜敗ばかりが続いた。

 10年全米オープンでは単独首位を快走しながら最終日に大崩れした。同年の全米プロでは72ホール目にバンカー内で誤ってソールして罰打を食らい、プレーオフ進出を逃した。11年全英オープンでは最終日の14番でOBを打ち、2位どまり。「DJはチキン(臆病者)だ」と揶揄されるようになった。

 そんなジョンソンが初めて明るい話題でスポットライトを浴びたのが、13年夏のポーリナとの婚約だった。

「世紀の大物カップル」ゆえ、さぞかし華やかな結婚式を挙げることだろうと思われていた。しかし、ジョンソンは翌14年の夏、忽然とツアーから姿を消した。

 PGAツアーが発表した彼の戦線離脱の理由は「パーソナル・チャレンジ」という曖昧な表現に留められたが、巷では「アルコール依存症では?」「ドラッグだろう?」と、グレーな噂が広がった。

「ポーリナの父親はジョンソンに激怒して、愛娘との結婚を認めないのではないか?」「ポーリナを実家に連れ戻すのではないか?」など、さらなる噂も飛び交った。

 しかし、ジョンソンとポーリナの絆はむしろ深まったようで、その年の秋、2人はポーリナの妊娠を発表。15年1月、第一子となる男の子が生まれ、男の子には、ウエインが3人の息子全員にTで始まる名前をつけたのにならい、「テータム」と名付けた。

 以後、ジョンソンのゴルフには、常に家族が登場するようになった。

 15年の春、ほぼ半年ぶりに戦線復帰するやいなや、キャデラック選手権で快勝したジョンソンは「テータムの父親として初めて挙げた優勝だから、とてもうれしい」と笑顔を輝かせた。

 その3カ月後。全米オープンでメジャー初優勝に手を伸ばしていたジョンソンは、72ホール目にまさかの3パットを喫し、目前の勝利を逃した。

「優勝トロフィーを抱く代わりに、テータムを腕に抱いて帰路の車に乗った」

 そんなときも、どんなときも、ポーリナはいつもジョンソンの傍らに寄り添っていた。

「かつてはゴルフがすべて。でも今は家族が一番」

 16年の全米オープンは、グレーな噂や暗い影が付きまとい、猜疑の視線を向けられていたジョンソンが、米ゴルフ界でほぼ初めて賞賛された大会だったと言っていい。

 最終日の優勝争いの真っ只中で「ジョンソンのボールが動いた」という嫌疑が持ち上がり、USGAの対処ミスで、ジョンソンは2罰打が課されるかどうかを保留されたままプレーを続けるという前代未聞の珍事に巻き込まれた。

 それでも黙々と戦い続け、2罰打の有無に関わらず勝利できる状況へ持っていった彼の勝ちっぷりは実に圧巻だった。そして、謝罪したUSGAに対して文句も恨み言も言わなかった彼の態度は実に立派だった。

 17年は春先から絶好調。ジェネシス招待を制してキャリア初の世界ランキング1位に輝き、出場3試合連続優勝を挙げ、「キャリアで最高の状態」でマスターズを迎えた。

 しかし、練習日に宿舎の階段から転落し、腰を強打。初日のスタート前に自ら欠場を表明し、戦わずしてオーガスタナショナルから去っていった。

 あの転落事故は、ポーリナとテータムくんが宿に戻ってくる直前に激しい雨が降り始めたため、ジョンソンは2人が乗っている車が屋根のあるガレージにそのまま入れるよう、自分の車を移動させようと思い立って慌てた結果、階段で足を滑らせたことが原因だった。

 それから2カ月後に次男リバーくんが誕生。「かつては僕にとってゴルフがすべてだった。でも今は家族が一番大切。家族のために頑張りたい」と語ったジョンソンの姿には、父親としてのたくましさが感じられた。

 翌18年には、ポーリナが自身のSNSアカウントからジョンソンとの思い出の写真を突然すべて削除し、「破局の危機」が報じられた。だが、ジョンソンは「人生には山も谷もある」と静かに語り、家族を守ること、黙々と戦い続けることに力を尽くした。

 そして20年10月。ジョンソンは新型コロナに感染し、コロナ禍で11月に延期されていたマスターズに出場できるかどうかが心配された。が、ぎりぎりセーフでオーガスタナショナルに滑り込み、終わってみれば、グリーンジャケットを羽織って、うれし涙に頬を濡らした。そんなジョンソンの傍らには、やっぱりポーリナがいた。

「2020年は奇妙な1年だった。でも僕にとっては、悪くない1年だった」

 10年近くも婚約状態を続けた末にようやく結婚したジョンソンとポーリナの関係性も、傍から見れば「奇妙」で謎だらけなのかもしれない。でも、彼にとっては、いやいや、彼らにとっては、きっと悪くない人生であるはずだ。

 純白のウエディングドレスをまとい、ジョンソンに寄り添うポーリナ。スーツ姿でポーリナを導くジョンソン。彼らの至福の表情を眺めていたら、「最高の人生だね」と囁き合う2人の声が聞こえてきたような気がした。

ダスティン・ジョンソン

1984年6月22日生まれ、37歳。米国出身の男子プロゴルファー。2007年にプロ転向し、19-20シーズンのフェデックスカップで総合優勝。16年の全米オープン、20年のマスターズとメジャーで2勝、ツアー通算24勝を挙げている。現在の男子世界ランキングは10位。

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