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「ゴメンナサイ」 棄権を詫びるミシェル・ウィーに丸山大輔は優しく握手した “天才少女”時代の忘れえぬシーン
史上初めてペブルビーチで行われた全米オープンでミシェル・ウィーは競技の世界に別れを告げた。かつて“規格外”の天才少女だった彼女は14歳にして男子のPGAツアーに挑戦。常識にとらわれないチャレンジは世界のゴルフファンを熱狂させた。しかし、ウィー本人は心身ともにボロボロの状態でおのれにムチ打ち戦っていた。
涙のハグを交わしたソレンスタムとウィー
今年の全米女子オープンは、史上初めて、あの名門ペブルビーチで開催されたのだが、そんな歴史的な全米女子オープンで戦いの世界に別れを告げたのは、あのミシェル・ウィーだった。

ゴルフ界の話題と注目を独占した、かつてのティーンエイジャーは、今では妻となり母となり、33歳になっている。
ウィーの引退と言えば、彼女はすでに昨年の全米女子オープンの際、長女マケナちゃんの「育児に専念したい」と言って、第一線から退くことを宣言。それがウィーの実質的な引退とされていた。
しかし、2014年の全米女子オープン優勝で得た10年シードが今年で切れること、戦いの舞台が帝王ジャック・ニクラスも引退を宣言したペブルビーチであること、そして今年で3歳になる長女マケナちゃんに「試合で戦う母親の姿を見せておきたい」といった理由から、ウィーは「もう一度だけ試合に出たい」と思い立ち、今年のペブルビーチにやってきた。
そして、「これをラストにする。この試合を最後に、戦いの世界から身を引き、ゴルフクラブはガレージの片隅に収める」と決意したのだそうだ。
かつてのゴルフ界の女王アニカ・ソレンスタムと同組で予選2日間を回ったウィーが、36ホール目の18番でファイナル・パットを沈める姿を、父親BJ、母親ボー、そしてバギーに乗せられたマケナちゃんらが見守っていた。
ウィーは通算14オーバー、ソレンスタムは通算15オーバーで、どちらもカットラインの通算6オーバーを大きく下回る予選落ちとなったが、そんな数字とは無関係に、2人は両腕を広げながら歩み寄り、涙のハグを交わした。
その昔、女王ソレンスタムと少女ウィーの間には「激しい火花が散らされている」と報じられたことが何度もあった。だが、こうして涙のハグを交わし合った2人の胸の中には、歳月の流れの中で味わってきたスター選手ならではの複雑な想いが、きっと溢れ返っていたのだと思う。
父親の肩にもたれかかり、ぐったりと眠る姿
ハワイで生まれ育ったウィーの存在が全米、そして世界へと広く知れ渡ったのは、彼女が史上最年少の13歳で全米女子パブリックリンクス選手権を制覇した03年からだった。
その年、メジャー大会のクラフト・ナビスコ選手権と全米女子オープンに出場し、双方で見事、決勝進出を果たして一世を風靡したウィーは、「私は男子の試合に挑みたい。マスターズに出ることが私の夢です」と言い放ち、世界のゴルフ界を驚かせた。
「面白い挑戦」「すごい心意気」と応援するファンが増えた一方で、「生意気」「思い上がり」といった批判の声も上がり、賛否両論が渦巻く中で、ウィーは毅然と男子ゴルフへのチャレンジを敢行していった。
05年の全米アマチュア・パブリックリンクス選手権ではベスト8進出を果たし、当時はこの大会の優勝者にはマスターズ出場資格が与えられていたため、ウィーの夢の実現は「まんざら不可能ではない」という見方が世間では強まっていった。
PGAツアーや下部ツアーといった男子の試合からの推薦オファーも殺到。04年ソニーオープン in ハワイを皮切りに、ウィーは合計12の男子の試合に挑み、そのたびに大勢のギャラリーとメディアが詰め寄せ、「ウィーが出る大会は、まるでサーカスだ」と言われるほどの大喧噪になった。
しかし、結果は散々で、ウィーが予選を通過したのはアジアンツアーの1試合のみ。それ以外はすべて予選落ちとなった。
私はウィーが挑んだPGAツアーの大会のほぼすべてに足を運んだが、強く記憶に残っているのは、スポットライトを浴びて輝いていたウィーの姿より、むしろ苦しさを言葉にできずに噛み殺しているかのようだった彼女の姿だ。
移動途上の空港で何度か見かけたウィーは、飛行機の搭乗を待つわずかな間も、ゲート前の椅子に座り、父親BJの肩にもたれかかって、ぐったりしながら眠っていた。
その姿からは、疲れ果てて「今にも倒れてしまいそう」という悲鳴が聞こえてくるかのようだった。まだ14歳、15歳のあどけない少女が、眉間にシワを寄せながら苦しそうに眠る姿は、見るに耐えないものがあった。
今でも忘れられないのは06年のPGAツアーのジョンディアクラシックでの出来事。当時16歳だったウィーと予選2日間を同組で回ったのは、当時、PGAツアーに参戦していた丸山大輔と、もう1人は無名のアメリカ人選手だった。
初日からウィーの組には大観衆とメディアの大群がぞろぞろ付いて回った。猛暑の中、心身がすっかり疲弊していたウィーのゴルフは初日から大荒れだった。
2日目のラウンド中、熱中症のような症状に見舞われたウィーは、途中で何度も座り込み、途切れ途切れで大幅遅れのスロー進行になった。
同組のアメリカ人選手は「プレーは遅いわ、途中で医者は呼ぶわで、もうこの組のゴルフは散々だ!」と怒声を上げていた。
その挙句、ついに彼女は途中棄権して救急搬送されることになった。
大勢の人々が自分を見にきているとわかっていたウィーは、だから自分は棄権してはいけないのだと考え、体調が悪化してからも必死にプレーを続けていた。だが、ドクターストップがかかり、棄権を余儀なくされると、彼女はフラフラしながら丸山に歩み寄り、覚えていた日本語で「ゴメンナサイ」と謝った。
そんなウィーの苦悩や悲哀をその場で感じ取った丸山は、無言のまま優しい笑顔で彼女の手を握った。
あの場面は、忘れがたきシーンとなって私の脳裏に刻まれた。
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