スポンサーであるサウジ関係者の発言
サウジアラビアの政府系ファンドの支援を受けて創設されたリブゴルフ。率いているのはグレッグ・ノーマンCEOだが、ノーマンを支えるリブゴルフの重役の中には、ゴルフ・サウジのCEOを務めるマジェド・アルソール氏がいる。

そのアルソール氏が、米ニューヨーカー誌の記者との会話の中で「リブゴルフ選手が世界ランキングのポイントを稼ぐことが認められず、来年のメジャー大会に出場できなくなるのなら、リブゴルフが独自でメジャー大会をつくってしまえばいい」と豪語したことが報じられるやいなや、その発言は世界中へ拡散され、大騒動と化した。
すると、アルソール氏は既存のメジャー4大会は「長い歴史と伝統を誇る素晴らしい大会だ」と前置きした上で、「新たな大会を創設したところで、世界のメディアが『これはメジャーだ』と認めない限り、メジャーにはなりえない」と悟ったことを伝え、「私の発言は、私の意図とは異なる方向へ誤って広められてしまった」と、報道された内容を修正。大胆不敵と感じられた「新メジャー創設発言」を自ら即座にトーンダウンさせた。
だが、アルソール氏が片意地を張らずにすぐさま軌道修正したことは、唯我独尊の強硬姿勢を見せ続けているリブゴルフ側が初めて見せたポジティブな前進と言えそうである。
ニクラスですら“マスターズ”はつくれなかった
1993年に渡米した私(筆者・舩越園子)がメジャー4大会の1つであるマスターズを初めて現地で取材したのは95年大会だった。
近年のマスターズのメディア・クレデンシャル(メディア章)はプラスチックの横長のケース型のものを紐で首からぶら下げるタイプだが、95年当時は赤いブリキの丸いバッジを安全ピンで胸のあたりに付けており、その赤いバッジを付けてマスターズを取材することは、当時のゴルフメディアのステータスシンボルのように思われていた。
その後、私は「ジャック・ニクラスの大会」として知られるPGAツアーのメモリアル・トーナメントも初取材したのだが、驚いたことに同大会のメディア・クレデンシャルは、マスターズのそれとそっくりの赤いブリキの丸いバッジだった。
さらに驚かされたのは、メモリアル・トーナメントの大会関係者全員が、マスターズのオフィシャルたちとそっくりのグリーンのジャケットを羽織っていたことだった。
「何から何まで、マスターズそっくりだ!」
そう思っていたら、すでに顔見知りになっていた米国人の熟練記者が、こっそり教えてくれた。
「メモリアル・トーナメントは、ジャック・ニクラスが球聖ボビー・ジョーンズのようになりたくて、この大会をマスターズのようなメジャーにしたくて創設したんだ。だから全部、マスターズを真似ているのさ」
なるほど、そういうことなのかと私は大きく頷かされた。
メモリアル・トーナメントが創設されたのは76年のこと。大会の舞台は、ニクラスが全英オープン開催コースのローテーションの1つであるスコットランドのミュアフィールドを模して米オハイオ州ダブリンで開場したミュアフィールド・ビレッジだ。
やがてタイガー・ウッズが3連覇を含む5勝を挙げ、松山英樹も初優勝を遂げるなど、数々の名勝負、名場面が生まれてきた。
それでもなお、この大会はマスターズにもメジャーにもなってはいないのだが、だからといってニクラスが嘆いているかといえば、そんなことはない。
PGAツアーの他のレギュラー大会より1つ格上の「招待大会」のステータスを授かり、今季からはトッププレーヤーが出場を義務付けられる「エレベーテッド(格上)20大会」の1つにも指定され、「ザ・メモリアルはザ・メモリアル」という不動の地位を築いている。