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ワニやヘビがすむ池でも「ウイニング・ダイブ」は受け継がれた 開催地移転のシェブロン選手権で考えた“伝統”
25歳の米国人選手、リリア・ヴの優勝で幕を閉じた米女子ゴルフのシーズン最初のメジャー大会、シェブロン選手権。この大会で注目されていたのは2023年最初の女子メジャーチャンピオンが誰になるのかということはもとより、勝者が移転した会場でも池に飛び込むのかということだった。
ワニが近寄れないよう水中にネットを張り巡らせる

だが、コトは、うれしい方向に動き始めた。ありがたいことに、タイトルスポンサーのシェブロンと新たな戦いの舞台となったカールトンウッズの人々も同じ気持ちを抱き、ウイニング・ダイブの伝統をなんとかして維持しようと手を尽くしてくれたのだ。
カールトンウッズの18番グリーン脇にも池が広がっている。しかし、その池は、これまで人間が飛び込むことなど、まったく想定されていない池だった。
そこで、大会とクラブ側はダイバーを潜らせて池の底の状態を調べ、岩や石が飛び出していないかどうかをチェックした。
ワニやヘビが生息している池でもあるため、優勝者が飛び込むエリアにワニが近寄れないよう、水中にネットを張り巡らせて安全性を高めた。
「しかし、ヘビまではネットでは防ぎ切れない」
それゆえ、この池に飛び込むかどうかは優勝者の判断に委ねられ、「とにかく、バスローブは準備しておきます」というのが、大会側とカールトンウッズが見せた最大限の努力と気遣いだった。
16年の優勝者、リディア・コは、たとえ優勝したとしてもダイブするかどうかは「分からない。とりあえず私の母は飛び込んではダメだと言っているし、私のキャディーは飛び込みたくないと言っている」。
ワニは来ずともヘビは出るかもしれないと言われたら、そりゃあ、尻込みもしたくなる。
「でも、シェブロンとカールトンウッズがウイニング・ダイブの伝統を守るためのチャンスをつくってくれたことに私たちは心から感謝しています」
そう言ったコは残念ながら予選落ちしてしまったが、最終日の優勝争いを眺めていた人々の興味と関心は「誰が勝つか」という点はもちろんのこと、「その優勝者は池に飛び込むだろうか?」という点に向けられていた。
歴史や伝統は偶発的に起こったり変わったりもするもの
サドンデス・プレーオフ1ホール目でバーディーを奪い、勝利を挙げたヴは、キャディーや両親とハグを交わした後、感極まって18番グリーン上にしゃがみ込んでしまった。グランドスタンドの大観衆からは「ジャンプ! ジャンプ!」の声が上がったが、それでもヴに池に飛び込む様子は見られなかった。
TV中継のインタビュアーが彼女にマイクを向け、短い質疑応答を交わした後。「さあ、池に飛び込みますか?」と尋ねると、ヴは「もちろんです」と即答した。
インタビュアーから「ジャンプ台のところから、飛び込んでくださいね」と促されると、ヴはソックスとシューズを脱ぎ、トレーナーと手をつなぎ、ジャンプ台から思い切ってダイブ! 相棒キャディーは華麗なポーズを取りながら、ダイナミックなダイブを披露。かくして、ウイニング・ダイブの儀式は、途絶えることなく引き継がれた。
とはいえ、池の状態が大きく改善されない限り、ヘビ出現の脅威は残るため、来年以降も飛び込むかどうかは優勝者の判断次第ということになる。それゆえ、この儀式が途絶える可能性は、いまなお残されてしまっている。
しかしながら、歴史や伝統というものは、未来永劫、必ずしも不変である必要はないのかもしれない。
この大会で優勝者が池に飛び込む儀式だって、大会創設時に定められたものではない。エイミー・オルコットが1988年大会で2度目の勝利を挙げた際、うれしさのあまり、思わず池に飛び込んだことが発端となり、以後、優勝者たちに引き継がれ、恒例化した。
そう考えると、歴史や伝統は、意図して創始される場合もあるが、偶発的に起こったり変わったりもするもので、歳月の流れや時代の変化に揉まれつつ、磨かれたり、淘汰されたりしながら紡がれていくものなのではないだろうか。
今年のシェブロン選手権では、池に飛び込む儀式が引き継がれ、「ああ、良かった」と安堵させられたが、もしかしたら来年からは別の何かが起こり、それが新たな歴史と伝統の始まりになることも、あるのかもしれない。
そうやって前向きに考えていれば、きっと何かいいことが起こり、女子ゴルフ界に素晴らしい未来が開けていくのではないだろうか。
文・舩越園子
ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学客員教授。東京都出身。百貨店、広告代理店に勤務後、1989年にフリーライターとして独立。1993年に渡米。在米ゴルフジャーナリストとして25年間、現地で取材を続け、日本の数多くのメディアから記事やコラムを発信し続けてきた。2019年から拠点を日本へ移し、執筆活動のほか、講演やTV・ラジオにも活躍の場を広げている。
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