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- 韓国で感じた「年齢の圧」、日本で受けた「リスペクト」――ユン・チェヨンが30歳で選んだ再出発
韓国ツアーで「ベテラン扱い」の空気に苦しんだユン・チェヨン。日本ツアーで感じた選手へのリスペクトが再挑戦の原動力となり、30歳での新たな決断へとつながった。
挫折とネットがつながらない孤独
「日本で飛行機を降りて、空港を歩いている時から気分がいいんです。冗談で『空気が違う』なんて言うこともありますが、本当に心が安らぐ。私にとって日本は、いつの間にか“家”のような場所になっていました」
そう語るユン・チェヨンの柔らかな表情からは、かつて日本女子ツアーで戦ってきた重圧のかけらも見当たらない。現在、日本女子ゴルフ界は世界トップクラスの層の厚さを誇るが、かつて日本ツアーを席巻した韓国人プロの中でも人気を集め、レベルアップの礎を築いた一人であったことは間違いない。彼女はなぜ30歳で日本ツアーに足を踏み入れたのか。引退から2年、ユン・チェヨンが初めて明かす「再出発」の真実を追う。(韓国・ソウル/キム・ミョンウ)

「2014年に初めて日本ツアー(ヤマハレディースオープン葛城)に出場したときは、たくさんの記者に囲まれて写真も撮られて(笑)。結果も出していないのに取材されるのでビックリしました(笑)」
身長170センチを超える抜群のスタイルがトレードマークで、日本のメディアには“八頭身美女”の見出しが躍った。当時は韓国勢が日本ツアーを席巻していた時代。イ・ボミ、アン・ソンジュ、申ジエといった実力者がこぞって日本でプレーしており、ユン・チェヨンも新たな“刺客”として注目された。
韓国ツアーでは1勝を挙げ、プロデビューから一度もシードを落としたことはなく、KLPGA広報モデルにも毎年抜てきされた。実力と美貌を兼ね備えた人気選手だった。
そんな彼女に日本ツアー挑戦のきっかけを尋ねると、「あまり知られていないのですが、実は日本ツアーへの挑戦は30歳の時が初めてではないんです」と切り出した。
調べると、ユン・チェヨンは2009年に日本のQTを2次から受験していた。アン・ソンジュが初めて日本QTに挑戦した年と同時期の話だ。
「ソンジュと一緒に日本へ行ったんです。当時は2次から出場できたのですが、ソンジュは最後まで突破して、私は3次で落ちました。まだ若かった私は日本の空気感そのものに馴染めなかったんです。言葉も通じないし、当時はホテルのWi-Fiもなくてネットもつながらなかったですから……。一人で部屋にいると、世の中から切り離されたような寂しさがありました」
技術以前に環境へ適応できなかったという。
「いざ試合になるとボールが全然当たらないんです。受からなきゃいけないという強迫観念が強くて、自分が自分ではないような感覚でした。結局、『日本は私には合わないんだな。今はまだタイミングじゃない』と自分に言い聞かせ、一度は夢を閉じました」
その後、11年間韓国で地道にプレーを続け、トッププロとしての地位を築いた。しかし皮肉にも、「ベテラン」という肩書が彼女の心を蝕み始めることになる。
韓国で感じた「年齢の圧」30歳で突きつけられた限界
韓国女子(KLPGA)ツアーは、日本以上に若返りのスピードが速い。30歳手前の彼女を待っていたのは敬意ではなく、ある種の疎外感だった。
「20代後半なのに、もう40歳くらいのベテラン扱いをされるような感覚でした。悪いことは何もしていないのに、ツアーにいるだけで雰囲気に呑まれてしまう。メディアもファンも、新人選手や大学を出たばかりのルーキーを盛り上げる風潮があって、同じシード選手なのに別の存在のように見られてしまうんです」
技術や経験は積み重なっているのに、周囲の空気によってスコアが出なくなる。そんな悪循環が彼女を追い詰めた。
「ゴルフは本来、楽しくて気分が盛り上がるものなのに、韓国にいると成績が落ちていく雰囲気を感じてしまった。『私、何か悪いことしたかな?』というような重いストレスです。そんな時、推薦で出場した日本ツアーの『ヤマハレディース葛城』で衝撃を受けました」
日本がくれた「リスペクト」という名の救い
ユン・チェヨンが「ヤマハレディース葛城」に推薦出場したのは2014年と2016年。そこで彼女は、日本のファンや記者の温かさに触れた。
「韓国では優勝するか、圧倒的なインパクトがなければ注目されません。でも日本では、初めて来た選手にも関心を持ち、敬意を払ってくれる。特に驚いたのは、ベテラン選手や長く戦っている選手へのリスペクトです。優勝できなくても、ツアーを支え続けるプロとして認めてくれる文化がありました」
「日本ならもう一度、自信を持ってやり直せるかもしれない」。その直感が彼女を動かした。
2016年の冬、彼女は再び日本QT挑戦を決意する。29歳。韓国では“引退”の文字がちらつく年齢での再出発だった。
1次から4次まで、覚悟の「オールイン」
「今度は後がない。でも、一度落ちた経験があるからこそ、不思議と謙虚になれたんです。受かったら『日本に来い』というサイン。落ちたら『ゴルフを辞めなさい』というサイン(笑)。そう考えて肩の荷を下ろしました」
韓国での試合をすべてキャンセルし、日本QTに専念。1次からファイナルまでの長い戦いの末、ファイナルQT5位で突破を果たした。
しかし歓喜の先に待っていたのは、異国での孤独だった。
「毎日泣いていた」来日1年目の苦悩
2017年、日本ツアー生活が本格的に始まったが、序盤は結果が出なかった。9試合で予選落ち4回。
「毎日泣いていました。一人でいるのが寂しくて。成績も出ないから、韓国のシードを捨てて来たのが間違いだったのかなと思ったりして」
慣れないビジネスホテル生活や言葉の壁も重なり、精神的に追い込まれていった。
「スーツケースを広げられず、ベッドの上で荷物を整理して、ユニットバスに洗濯物を干す。日曜日に次の会場へ移動して、部屋に入った瞬間に寂しさがこみ上げて、泣くのが日課になっていました」
「ゴルフを忘れる」ことが導いた逆転劇
彼女を救ったのは、同じく日本で戦う韓国人選手たちとの交流、そしてゴルフへの執着を手放すことだった。
「結果が出ないので、ゴルフに集中しすぎるのをやめたんです。後輩の(イ・)ミニョンと美味しいものを食べたり、観光したり。そうしていたら少しずつスコアが出るようになりました」
転機は2017年夏。「サマンサタバサレディース」と「センチュリー21レディス」で連続2位に入り、一気に流れを変えた。
狭い部屋が教えてくれた「本当の自分」
「気づいたら、広い部屋だと眠れなくて、狭い空間のほうがぐっすり眠れるようになっていました(笑)。スーツケースを横に置いて、手を伸ばせば全部に届く。その狭さが私には必要だったんです」
さらに日本での生活は、「一人でいる時間」の価値も教えてくれた。
「以前は一人でご飯を食べることもできませんでした。でも日本で生活するうちに、一人の時間を楽しめるようになった。自分でも強くなったと思います」
30歳で始まった日本での第2の挑戦。それは単なるスコアの記録ではなく、一人の女性が自分を取り戻し、大人へと成長していく物語でもあった。
(後編へ続く)
ユン・チェヨン
1987年3月5日生まれ、韓国・ソウル市出身。2010年にプロ転向し、14年に韓国ツアーで初優勝。同年の「ヤマハレディースオープン葛城」で日本ツアーデビューした。日本ツアーへの本格参戦は17年から。23年シーズンをもって引退を発表した。
取材・文/キム・ミョンウ
1977年生まれ、大阪府出身の在日コリアン3世。新聞記者として社会・スポーツ取材など幅広い分野を担当。その後、編集プロダクションを経てフリーに転身。2010年、サッカー北朝鮮代表の南アフリカW杯出場決定後、日本メディアとして初めて平壌で代表チームを取材し、『Number』に寄稿。2011年から女子プロゴルフの取材も開始し、日韓の女子プロとも親交を深める。現在は女子ゴルフとサッカー、アスリートインタビューなどを中心に雑誌やWEB媒体に寄稿。著書に「イ・ボミ 愛される力」(光文社)。
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