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- 「日本は私をプロとして扱ってくれた」ユン・チェヨンが語る感謝の6年とファンとの絆
日本ツアーでファンやメディアから受けたリスペクトが、ユン・チェヨンの心を支え続けた。韓国での感動的な応援秘話、引退への思い、そして新たな人生への挑戦を語る。
笑顔が変えたツアーの空気
ユン・チェヨンが日本ツアーに残したものは何か――。本人にそう聞くと頭をかしげていたが、こちらから「ファンやメディアに対する姿勢では?」と伝えると、少し考えてうなずいた。来日した当時、日本の女子ゴルフツアーは今ほどオープンな雰囲気ではなかったという。(韓国・ソウル/キム・ミョンウ)

「私が17年に日本ツアーに初めて来たときは、(イ・)ボミが2年連続で賞金女王になった翌年だったので、それこそ韓国選手も注目されていたのはすごく記憶にあります。韓国の選手は、カメラマンが写真を撮る時にカメラを見て手を振ったり笑ったりしていますよね? 09年に初めて受けたQTや14年のヤマハレディースに推薦で初出場したとき、日本の選手がカメラに向かって手を振るとか、そこまでオープンな雰囲気ではなかったと思います」
一方で、韓国ツアーの選手たちは日本でも普段通りに振る舞っていた。
「私もカメラに向かって笑顔を見せて手を振っていた記憶があります。カメラマンの方が喜んでくれていましたね。そしたら日本の選手も『手を振っていいんだ』って影響を受け始めたかもしれませんね」
メディアにつけられた愛称についても、彼女は前向きに受け止めている。
「そう言われているのは周囲から聞きました(笑)。正直、最初は恥ずかしさもありましたが、関心を持ってもらえるのはありがたいことですよね。健康的なイメージであれば、それもプロの大切な仕事だと思っていました。ファンサービスも、韓国では当然のマナーだという意識がありましたが、日本ではそれ以上に、ファンと心が通じ合っている感覚があったんです」
韓国・春川で驚いた「似顔絵Tシャツ」の列
彼女の心を最も温めたのは、国境を越えたファンの情熱だった。
「日本のファンの方たちは本当にすごい。北海道から沖縄まで、毎週毎週、同じ顔ぶれが応援に来てくれる。どうしてそんなことができるの?と不思議になるほどでした(笑)。その情熱に、私は何度も救われたんです」
忘れられないエピソードがある。韓国のスポンサー試合にスポット参戦した際、日本のファンたちが大挙して韓国まで追いかけてきた。
「春川(チュンチョン)にあるゴルフ場でした。周辺は宿も少なくて、アクセスも不便な場所。なのに、日本のファンの方々が私の似顔絵がプリントされたおそろいの白いTシャツを着てギャラリーに来てくれたんです。韓国語もできないのに、わざわざ海を越えて不便な田舎まで……。あの白いTシャツの列が見えた瞬間、胸が熱くなりました。私を心から応援してくれる人たちがいる。あの方たちを力づけるために、私はもっと上手く打たなければならない。そう強く思いました」
これまでもらったプレゼントには、名前入りのヤーデージブック、手作りのバッジ、心のこもった手紙――。日本のファンがくれるカスタムグッズには、単なる応援以上の愛が詰まっていたと笑顔を見せる。
山下美夢有に見た「危機管理能力」の高さ
そんなファンに見守られながら、彼女は次世代の台頭も間近で目撃した。特に印象深かった選手として、山下美夢有の名前を挙げる。
「彼女がルーキーの時、一緒に回る機会がありました。背も小さくて可愛らしい子ですが、プレーは衝撃的でした。何よりすごいのは『危機管理能力』。ミスをするタイミングで必ずセーブして、チャンスを絶対に逃さない。そのメンタルの強靭さは、ルーキーとは思えないインパクトがありました。『あの子はいつか世界で活躍する』と思いました。実際に今、米ツアーで活躍しているのを見て、自分の見る目は正しかったなと思っています(笑)」
引退は思い出の地「ヤマハレディース葛城」
22年シーズンは日本ツアー参戦後、初めてシードを落とした。同年12月のファイナルQTも77位で敗退。確かな目標を見失いそうな状態ではあったが、すぐに帰国を考えたわけではなかった。
「母は私の性格を知っているからか、『結果がダメでもQTを受けて落ちるほうが後悔しないでしょ』って言うんです。本当にその通りで、最後は挑戦してよかったと思います」
そうして迎えた23年シーズン。引退の時は唐突ではなく、穏やかに訪れた。最後に選んだ大会は、思い出の地でもある「ヤマハレディース葛城」だった。
「最後だと分かっていたので、18ホールすべて、景色や音、空気感を記憶に閉じ込めておきたくて、必死に噛み締めながらコースを歩きました。不思議なことに、寂しさはなかったです。日本に来る選択をした自分を褒めてあげたい、そして受け入れてくれた日本に感謝したい。そんなありがたい気持ちだけでいっぱいでした」
しかし、プロゴルファーである以上、最後まで欲は残っていた。
「最後の日、ゴルフを楽しく打ちたいと思いつつ、やっぱり上手く打ちたいというプロとしての欲は捨てきれませんでした(笑)。でも、それも含めて私。日本での6年間は、私のゴルフ人生の実力を確実にアップグレードさせてくれた時間でした」
次のステージは大学院で「精神健康医学」へ
引退後は韓国でゴルフ番組出演など様々な仕事に取り組みながら、新たな道として大学院進学を決意。3月から「精神健康医学」を学ぶという。
「実は現役時代に5人のメンタルコーチからいろいろとアドバイスを受けていたんです。イメージトレーニングでコースを脳内に描く訓練など、あらゆることを試しました。でも、私が今回学びたいのは『医学』の視点からの脳と心です。スポーツ心理学という枠を超えて、一人の人間の脳がどのように働いて、どうパフォーマンスに影響するのか。博士号まで取る予定です」
「大学院は科自体も難しく、勉強の量もものすごい。でも将来は、脳の仕組みを理解した上で若手ゴルファーを育成する道に進みたいと思っています」
私をプロとして扱ってくれた日本

今でも月に一度は日本を訪れるという。
「インスタグラムを見てもらえばわかりますが、昨年も10回以上行きました。また日本へ行く機会があります(笑)。主には東京、福岡、札幌ですね。旅行の時もあれば仕事の時もありますが、日本に行けば心がリセットされるんです」
「韓国にいれば心は常に忙しく、何かに追われている気がします。でも日本に行けば、空気が緩やかに流れている感じがするんです」
30歳での日本挑戦は、競技面だけでなく人生そのものを変えた。
「一人での生活を通じて自分自身を知り、人として成長することもできました。だから後輩たちにも、アメリカでも日本でも『無条件に行くこと』と伝えています。経験はお金では買えない一生の財産ですから」
最後に「日本行きの選択は間違いではなかったですね?」と尋ねると、迷いのない答えが返ってきた。
「本当に正しい選択で、日本のファンは私を“プロ”として扱ってくれました。だから私はもう一度、ここからやり直せたんだと思います」
ユン・チェヨンが持ち込んだ“笑顔”と“リスペクト”の精神は、今の日本女子ツアーの華やかさの一部となった。日本で過ごした6年間は、彼女の中で今も静かに続いている。
ユン・チェヨン
1987年3月5日生まれ、韓国・ソウル市出身。2010年にプロ転向し、14年に韓国ツアーで初優勝。同年の「ヤマハレディースオープン葛城」で日本ツアーデビューした。日本ツアーへの本格参戦は17年から。23年シーズンをもって引退を発表した。
取材・文/キム・ミョンウ
1977年生まれ、大阪府出身の在日コリアン3世。新聞記者として社会・スポーツ取材など幅広い分野を担当。その後、編集プロダクションを経てフリーに転身。2010年、サッカー北朝鮮代表の南アフリカW杯出場決定後、日本メディアとして初めて平壌で代表チームを取材し、『Number』に寄稿。2011年から女子プロゴルフの取材も開始し、日韓の女子プロとも親交を深める。現在は女子ゴルフとサッカー、アスリートインタビューなどを中心に雑誌やWEB媒体に寄稿。著書に「イ・ボミ 愛される力」(光文社)。
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