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- 中嶋常幸が献花後に思いを馳せたジャンボとの“2大名勝負” 終生のライバルだけが知る“魂のやり取り”
昭和から平成へ――。日本ゴルフ界を彩ったジャンボ尾崎と中嶋常幸の激闘は、勝敗を超えた“物語”だった。雨に沈む東京、北の大地・小樽。極限のプレッシャーの中で交錯した意地と敬意。別れの時に蘇ったのは、魂を削り合ったあの日々の記憶だった。
「一緒に戦ったトーナメント、特に優勝争いの試合を思い出しました」
昭和の末から平成にかけて、前に進み続ける尾崎将司という大きな壁を追いかけ、追い越そうと試みたのが7歳年下の中嶋常幸でした。その中嶋が挙げた特筆すべき2大名勝負が、1988年と90年の「日本オープンゴルフ選手権」です。
3月16日、東京・帝国ホテルに2000人もの人々が献花に訪れた尾崎将司氏のお別れの会。その中に中嶋の顔もありました。花を供え、遺影を仰ぎ、手を合わせた時によみがえってきたのが、ジャンボと繰り広げた名場面の数々だったと言います。
「一緒に戦ったトーナメント、特に優勝争いの試合を思い出しました。いろんなシーンがあるんだけど、勝った試合もあれば、負けた試合もたくさんあった」

まず、よみがえってきたのが88年、東京ゴルフ倶楽部(埼玉県)で行われた日本オープン。
「ジャンボが17番で長いバーディーバットを決めて、1ストローク差で追いつけなかった試合の、迫力というか、凄さというか」
この試合、初日の10月6日は冷たい雨が降りしきり、フェアウェイ、グリーンも水浸し。6923ヤード・パー71と当時としては距離もあり、ラフが伸ばされたコースはさらに難しくなりました。
各選手が苦しむ中、ジャンボが4アンダーの67というロケットスタートに成功します。アンダーパーはわずか3人。2位の吉村金八に2打差の単独首位で、ライバルの青木功が3オーバーの15位、中嶋(当時の表記は中島)も4オーバーの29位と出遅れたとあって、「グリーンが小さいし、距離の長いコースで雨が降った。ドライバーが飛ばない人には気の毒なコンディションになったね」と、ジャンボには周りを気遣う余裕までありました。
しかし2日目以降、フェアウェイを絞り、ラフを伸ばし、グリーンを硬くした日本オープン仕様のセットアップがジャンボをも苦しめます。しかもこの年、夏の水不足と種の調達失敗によりグリーンのコンディションが最悪。各組がホールアウトするごとにローラーをかける非常事態となり、選手たちはパットに神経をすり減らすことになります。
ジャンボがスコアを2つ落としながらも2アンダーで首位をキープしたものの、猛追に転じたのがライバルの2人。2日目は中嶋が68、青木が69をマークして3打差の4位タイまで浮上してきます。
3日目はさらに厳しいコンディション。ついにアンダーパーがいなくなりました。我慢のゴルフで1オーバーをキープした中嶋が単独トップに立ち、75を叩いたジャンボは2オーバーの2位タイに後退。同スコアで並んだ吉村とともに最終組に入りました。3オーバー4位の青木が1つ前の組。最終日はAONの役者がそろった優勝争いとなりました。
最終日も中盤までは中嶋が主導権を握っていました。10番のバーディーで2位に3打差をつけ85、86年の連覇以来の大会3勝目に突っ走るかと思われましたが、この後、右足を引きずるシーンが見られます。
「あの年の1月か2月に、股関節の骨にちょっとひびが入っていたのが分かって、市原(千葉)の病院でものすごい冷たい液体窒素の治療をやっていた」と中嶋本人が明かしてくれました。その後、日本人最高の3位(当時)に入った全米プロゴルフ選手権で右足の痛みを覚え、帰国後の検査でかなりの重傷と判明。治療に約1カ月を要し、「全日空オープン」から復帰したものの、日本オープン直前の「東海クラシック」では予選落ちを喫する緊急事態に直面していました。
「日本オープンは体が壊れてもやる」と強行出場したものの、そのツケが大事な場面で回ってきてしまうのです。15番でボギーを叩くと、16番ではティーショットが右の深いラフ。ウッドとアイアンで悩み、アイアンで放った第2打がグリーン左のバンカーを越え、もしゃもしゃのラフに飛び込みました。ここからのアプローチもグリーンに乗せられず、4オン2パットのダブルボギー。通算5オーバーで、ついにジャンボに並ばれました。
この瞬間、リーダーボードにはAONと友利勝良が5オーバーで並んでいました。最終組が大詰めの17番、208ヤードのパー3のグリーンに上がります。並んでいる中嶋の目の前で、「左カップいっぱい」と読んだ12メートルもあるジャンボのバーディーパットが1発でカップに飛び込みます。一方の中嶋は2パットのパー。1打遅れて最終ホールに突入する羽目になりました。
のちに「イップスだった」と本人が振り返るほどの重圧
勝負が懸かった18番、ジャンボはビッグドライブでフェアウェイをキープ。追う立場となった中嶋はティーショットが右ラフにつかまり、残り200ヤードからフェアウェイにレイアップ。ジャンボは160ヤードから手前20メートルに2オン。一方の中嶋は3打目を右手前8メートルに乗せるのがやっとという、苦しい状況へと追い込まれます。
ジャンボはバーディーパットを70センチに寄せて、勝利は目前に見えました。ところが、ここで中嶋は最後の意地を見せます。この8メートルを1発で沈め、5オーバーでホールアウト。4オーバーのジャンボにプレッシャーをかけました。
厳しいセットアップとグリーンコンディションの悪さに多くの選手が神経をすり減らした日本一決定戦。初日4アンダーでトップでスタートしたジャンボが、72ホール目で迎えたのは4オーバーで優勝するための、70センチのパーパット。10番で3打差を付けられながら、ついに迎えた激動の1日の最後にすさまじい重圧が訪れます。
ジャンボの手が動きません。のちに「イップスだった」と本人が振り返るほどの重圧は、2度の仕切り直しという異常事態を招きました。「中嶋選手に10番で3打差を巻き返すなど急激な展開で、もうボーッとしてしまったんだね。本当にこんな事初めてだ」とホールアウト後に語っていました。外せば1打差でクラブハウスリーダーとなった中嶋と青木とのプレーオフ。その重圧にようやく打ち勝ったジャンボは、このパットをねじ込みました。
中嶋にとっては悔しすぎる敗戦。「ドライバーがフェアウェイに1発しか行かないんじゃ勝負にならない」と絞り出すように敗戦の弁をもらした中嶋をねぎらうように、ジャンボはインタビューでこう語っていました。「トミー(中嶋)のドライバーが今日は良くなかった。それでこんな展開になったんだけどね」。38年の月日を経て、ジャンボに別れを告げた中嶋はこう評しました。「ジャンボの凄さっていうのは、(ボールが)どこに行っても、何があっても決めてくる。そういう特別な存在でしたよね」。
これを機に、ジャンボは国内最強の足場を固めます。日本オープン翌週の「ゴルフダイジェスト」、続く「ブリヂストントーナメント」と3週連続Vに成功し、11年ぶりに賞金王の座を奪還すると、翌年も快進撃が続きます。
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