【舩越園子の砂場Talk(バンカートーク)】「メダルの色」とイソップぐう話 家族の夢と想いを引き受けたシャウフェレ

東京五輪の男子ゴルフで金メダルに輝いた米国のザンダー・シャウフェレ。それは、交通事故のため五輪出場の夢を絶たれた父と、日本育ちの台湾人である母の想いを胸に戦い抜いた末の栄冠だった。

“何色であってもメダルを獲りたい”シャウフェレの謙虚なひたむきさ

 五輪男子ゴルフで金メダルに輝いた米国のザンダー・シャウフェレは、第2ラウンドを終えて単独首位に立ったとき、こんな言葉を口にした。

「メダルの色に関わらず、僕はなんとしてもメダルを獲りたい」

シャウフェレが謙虚に一心に目指してつかんだメダルは金色だった 写真:Getty Images

 それを聞いた瞬間、私が思い浮かべたのは、遠い昔に読んだ「金の斧、銀の斧」というイソップぐう話だった。

 正直な木こりが自分の斧を川に落としてしまったら、神様が金の斧を手にして現れ、「これは、あなたの斧ですか?」と尋ねる。木こりは「いいえ、私の斧はそんなに立派な斧ではありません」。今度は神様が銀の斧を見せると、木こりはまたしても「そんなにキレイな斧ではありません」。すると、神様は木こりの正直さを讃え、木こりに金の斧を授ける。

 このイソップぐう話は「正直こそは最善」を意味するストーリーだが、五輪のメダル獲得に求められるものは、正直だけではもちろんない。

 だが、たとえ何色であってもメダルを獲りたいと言ったシャウフェレの謙虚なひたむきさは、最終的にはイソップぐう話の根底にあるまっすぐで真摯な想いと通じるように思えてならない。

父親の夢、母や祖父母の想いを引き受けたシャウフェレ

 シャウフェレの父親はドイツとフランスのハーフで、かつては陸上十種競技の選手として五輪出場を目指していた。しかし、1986年大会の直前に交通事故に遭い、左目を損傷。五輪出場は幻と化した。

 シャウフェレの母親は台湾で生まれ、日本で育った。流暢な日本語を話し、気さくで気取らない彼女の謙虚な人柄は、そのまま息子のシャウフェレに引き継がれている。

シャウフェレの打球を見つめる父・ステファン(右) 写真:Getty Images

 ゴルフが2016年のリオ大会で112年ぶりに五輪競技に復帰することが決まったときから、シャウフェレは叶わなかった父親の夢を自分が引き受けようと心に決めていた。

 そして、2017年に米ツアーで初優勝を挙げ、その年の最終戦のツアー選手権を制覇して世界を驚かせた瞬間から、シャウフェレは母親が育った日本で開催される東京五輪に出て、父母のためにメダルを獲ることを現実的に目指し始めた。

 ぐんぐんスターダムを駆け上がり、せっかく東京五輪への切符を掴み取ったが、コロナ禍ゆえに霞ヶ関にはコーチを兼ねている父親のみしか足を踏み入れることができず、母親も、東京・渋谷で暮らす祖父母も、米国チームのユニフォームに身を包んだシャウフェレの姿を間近に眺めることは叶わなかった。

 しかし、だからこそシャウフェレは、叶わなかった父親の夢、母や祖父母の第2の故郷への想いをすべて引き受けようと必死だった。

 シャウフェレ自身は、「僕は何系の何人なのか、なんて表現したらいいのかわからない。でも、僕は僕だ」と語り、常にダイバーシティの中で自分のアイコンを探し続けてきた。

 そして、彼自身が生まれ育ったアメリカ合衆国を代表して戦い、母国のためにメダルを獲って表彰台に上がることこそが、探し求めてきた自身のアイデンティティだという結論に至った。

 父のため、母のため、祖父母のため。母国のため、そして自分自身のアイデンティティのために、彼はメダルを目指した。

「メダルの色に関わらず、僕はなんとしてもメダルを獲りたい」

 何色でも構わないから――ただひたすら、謙虚に一心にメダルを目指したら、手に入ったものは、金色のメダルだった。

 そんなシャウフェレの五輪物語のハッピーエンドを目にしたとき、「金の斧、銀の斧」を思い浮かべた人は、もしかしたら私だけではなかったのではないだろうか。

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