- ゴルフのニュース|総合ゴルフ情報サイト
- 記事一覧
- コラム
- 東京オリンピックを開催した霞ヶ関CCも入っている関東七倶楽部って何だ?
東京オリンピックの開催で注目を集めた霞ヶ関カンツリー倶楽部。なかなか一般ゴルファーがラウンドできないような超名門だが、関東にはこの霞ヶ関CCを含めた「関東七倶楽部」という超名門ゴルフ場が存在する。
関東七倶楽部とは第二次世界大戦前に開場した関東エリアの超名門ゴルフ場
東京オリンピックのゴルフ競技は埼玉県の霞ヶ関カンツリー倶楽部で開催されました。開催コースを決める際、「なぜ東京オリンピックなのに埼玉県のゴルフ場なのか?」「大会後のレガシーのことを考えるのであれば、誰でもプレーできるゴルフ場で開催すべきではないか?」という議論が起こりました。

結局、東京都内にはオリンピックのゴルフ競技にふさわしいゴルフ場がないことを理由に、東京に近接するゴルフ場の中から霞ヶ関CCに決まりました。
しかし、ストレートな言い方をすれば日本のゴルフ界のエライ人たちが霞ヶ関CCで開催したいという強い意向がありました。
霞ヶ関CCは関東七倶楽部と呼ばれる歴史ある名門コースのうちの一つです。東京周辺のゴルフ場で第二次世界大戦前に開場した7コースを関東七倶楽部と称します。
東京ゴルフ倶楽部(埼玉県) 大正3年(1914年)開場
程ヶ谷カントリー倶楽部(神奈川県) 大正11年(1922年)開場
霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県) 昭和4年(1929年)開場
我孫子ゴルフ倶楽部(千葉県) 昭和5年(1930年)開場
相模カンツリー倶楽部(神奈川県) 昭和6年(1931年)開場
鷹之台カンツリー倶楽部(千葉県) 昭和7年(1932年)開場
小金井カントリー倶楽部(東京都) 昭和12年(1937年)開場
東京GCは現在の駒沢オリンピック公園の場所で開場しました。しかし、借地料の値上がりによって昭和7年(1932年)に埼玉県朝霞市に移転。昭和15年(1940年)に再び移転し、現在地の埼玉県狭山市になりました。
程ヶ谷CCも現在の横浜国立大学キャンパスの場所で開場しましたが、昭和42年(1967年)に現在地の神奈川県横浜市旭区に移転しました。
関東七倶楽部は日本のゴルフの歴史の中心を担ってきたので仲がよく、親睦競技を定期的に開催しています。メンバーになるのは非常に敷居が高く、会員権が市場で売買されていないコースもあります。
日本ゴルフ協会や各都道府県ゴルフ協会主催イベントでプレーのチャンスあり?
関東七倶楽部のリーダー格は最も歴史が古い東京GCです。日本一のゴルファーを決める日本オープンを過去に7回開催しており、2024年に8度目の開催が決定しました。

程ヶ谷CCも1927年に日本オープンの第1回大会を開催し、その後も2度の開催経験があります。
ただ、この2コースはオリンピックのゴルフ競技という国際大会を開催するにはコースの総距離や観客動員数などの諸条件を満たすことができません。
一方、霞ヶ関CCは昭和32年(1957年)に日本で初めて国際的トーナメントのカナダカップ(現ワールドカップ)を開催した経験があります。この大会で中村寅吉と小野光一のペアが世界の強豪を相手に優勝を果たし、第一次ゴルフブームが巻き起こりました。コースレイアウトや選手の練習環境、観客の動員条件も申し分ありませんでした。
「東京オリンピックなんだから、東京都にある小金井CCはどうなの?」と思う人もいるでしょうが、小金井CCも世界のトッププロが実力を競う舞台としては条件が厳しかったのです。
東京都のゴルフ場で候補に挙がったのが若洲ゴルフリンクスでした。このゴルフ場は東京都が所有しており、「大会後のレガシーのことを考えた誰でもプレーできるゴルフ場」という条件には合致していましたが、国際大会を開催するにはやはり規模が足りませんでした。
ただ、霞ヶ関CCの所在地は埼玉県川越市です。選手村からゴルフ場までの距離が遠いのは事実で、朝早くスタートする選手たちから不満の声が上がる可能性はありました。でも結果的には緊急事態宣言下での無観客開催となり、高速道路が空いていて選手たちの移動もスムーズだったようです。
「大会後のレガシー」という点についても、日本ジュニア選手権の会場として毎年ジュニアゴルファーを迎え入れており、それ以外にも日本ゴルフ協会の主催競技の予選に出場すればプレーできる可能性があります。
霞ヶ関CC以外の関東七倶楽部も、各都道府県ゴルフ協会が主催する県民ゴルフデーなどのイベントでプレー可能です。2021年は新型コロナウイルス観戦拡大防止などの観点から軒並み中止になってしまいましたが、2022年以降にプレーの機会が提供された際は、名門ゴルフ場の格式ある雰囲気を味わってみてはいかがでしょう。
最新の記事
pick up
ranking