ジェネシス開催のリビエラはハリウッドセレブがメンバー
タイガー・ウッズが大会ホストを務める今週の米PGAツアー「ジェネシス招待」は、ビバリーヒルズやハリウッドからもほど近い高級住宅街、パシフィックパリセーズのリビエラカントリークラブで開催されます。
古くはベン・ホーガンが優勝した1948年の全米オープンを開催するなど、96年の歴史を刻む名門倶楽部として知られています。土地柄からメンバーにはウォルト・ディズニー、ハンフリー・ボガートといったハリウッド・セレブリティーが名を連ねてきました。

100周年の2026年には全米女子オープンが予定され、28年ロサンゼルス五輪の男女ゴルフ競技会場にも選ばれていますが、このコースを日本でマリーナ事業などを営むリビエラグループが所有していることは、意外に知られていません。
大会自体も、かつてはロサンゼルスオープンの名称で知られ、日産がスポンサードするなど多くの日本企業とも深い関わりがあります。
実は毎年、米ツアー年始初戦となる「セントリートーナメント・オブ・チャンピオンズ」が行われているハワイ・マウイ島のカパルアは、ユニクロ創業者である柳井正氏のプライベートカンパニーの所有です。この大会もかつて、日本の自動車メーカーであるいすゞが主催していました。
このトーナメント・オブ・チャンピオンズという大会も1999年にマウイへと移るまでは、カリフォルニア州カールスバッドにあるラ・コスタカントリークラブで開催されていました。このコースも、かつて日本の企業であるスポーツ振興の所有でした。
同社はラコスタの他、ハワイのミリラニなど3コース、フロリダのグレンリーフも所有していました。
日本の企業がゴルフ場を買い漁るようになったのは、バブル経済真っ盛りの80年代。当時を知るゴルフ場共済協同組合理事長の大西久光氏は、こう解説してくれました。
「日本のゴルフ場に比べて安く感じたから買ったわけだけど、土地の単価が(日米では)まるきり違いましたからね。そもそも比較にならない。バブルが弾けると、パタッと止まってしまった」
「アメリカの魂」ペブルビーチもかつては日本企業が買収
全米オープンを6度開催し、毎年米ツアー「AT&Tペブルビーチプロアマ」の舞台となっているペブルビーチ・ゴルフリンクスも、一時期日本の企業が所有していました。弁護士でゴルフジャーナリストの西村國彦弁護士の著書「ゴルフ場そこは僕らの戦場だった」(ほんの木刊)にこんな一説があります。
「コスモワールドが1250億円で買収したアメリカ西海岸の名門ペブルビーチ・ゴルフリンクスなど4つのゴルフ場を、1992年に(太平洋クラブが)住友銀行の仲介で購入する。しかし日本もすでにバブルのピークは過ぎ、明らかに下降局面に入った。その頃から太平洋クラブは、借入金と預託金を合わせた負債総額が1000億円を超える。そんな中でアメリカのペブルビーチ売却(後略)」
こうした過酷な状況の中、日本企業は次々に撤退していったわけです。
2022年2月発行の「ゴルフマネジメント」(一季出版)によれば、1988年に58コースだった日本企業経営の海外ゴルフ場は、90年に一気に150コースに増えると95年まで増え続け、ピーク時には269コースにまで膨れ上がります。まさにバブル真っ盛り。
しかし96年からは徐々に減り始め、2005年には2桁の95コースと下落傾向に歯止めがかかりません。20年にはついに、1988年以降では最低の38コースまで落ち込んでしまいました。
ここに来て「ザ・アメリカンエキスプレス」開催コースを日本企業が買収
ところが、昨年は日本企業所有は52コースと27年ぶりに増加へと転じました。
「新規判明は、エイチ・ジェイグループの米国ゴルフ場で、18年に7コースを米国の大手ゴルフ場運営会社から取得、20年にはさらに10コースを取得した。名門コースとして知られるPGAウエストを傘下に収めている」(ゴルフマネジメント誌)
PGAウエストと言えば米ツアーの「ザ・アメリカンエキスプレス」を開催しているコースです。
広大な土地を必要とするゴルフ場経営は、経済の動きに左右されるのが世界の流れです。その分、所有者の動きは、経済状況とも密接な関係を持っていると言っていいでしょう。
ゴルファーにとって、自分がゴルフ場のオーナーとなることが究極の夢であるのは間違いありません。けれども、オーナーだけが満足しているのでは、ゴルフ場が長続きしないことも、バブル期も含めたさまざまな経験で分かっています。
バブル期には好調な日本経済を背景に、他国のゴルフ文化への理解や理念もなく海外ゴルフ場を買い漁る日本企業が続出しました。そうした企業は日本経済の衰退とともにあっさりとゴルフ場を手放しています。
ただ、現在残っている、あるいは新規に取得した日本人や日本企業保有のゴルフ場が世界中のゴルファーを満足させることができれば、日本のゴルフ文化への貴重なフィードバックとなり、成熟への助けとなるのではないでしょうか。