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- 今では考えられない女子ツアー“不毛時代” メディアは来ないが“おもてなし”はスゴかった
近年、若手のスターが台頭著しく、たくさんのギャラリーが訪れる国内女子プロゴルフツアーだが、ツアーが始まったころは誰も見向きもしなかった。長年、ゴルフ雑誌の専属カメラマンとして活動した鈴木健夫さん(77歳)に当時の話を聞いた。
スカートを履いた女子プロなんていなかった
「今の女子ゴルフの盛り上がりは、本当に想像できなかったよ」
そう語るのはゴルフ専門誌「週刊パーゴルフ」(昨年休刊)などで約半世紀、ツアーカメラマンとして活躍した鈴木健夫さん(77歳)。

ジャンボ尾崎、青木功、中嶋常幸の「AON」が全盛だったころ、ツアー現場で精力的に撮影した。マスターズをはじめとする海外4大メジャーはもちろんのこと、国内ツアーはほとんど網羅。もちろん女子ツアーが始まったころの現場にも足を運んでいる。
今では男子と女子のツアー人気が逆転してしまったが、当時の女子ゴルフがどんなものなのかを知る立場としては、現在の女子ゴルフ人気は考えられなかったという。
「女子にプロツアーがないころは、日本女子アマチュアゴルフ選手権とか関東と関西でのアマチュア大会くらいでしたから」
1967年に日本プロゴルフ協会が第1回の女子プロテストを実施。合格したのは26人で、同協会内に女子部が創設された。12月には日本プロゴルフ女子部創設記念競技が開催され、翌68年には日本女子プロと日本女子オープン(当時の大会名はTBS女子オープン)の2試合が開催され、両大会で優勝したのが、現JLPGA相談役の樋口久子だ。
女子プロゴルフ界のパイオニアで「チャコ」の愛称で親しまれた日本女子プロゴルファーの第1期生。米ツアーに参戦した初の日本人でもある。
「樋口さんは抜群に力があって人気がありましたし、服装も目立っていました。ただ、実力・人気ともにそこに対抗する選手は少なかったです。ただ、やはりゴルフは男子がメインだったので、女子ゴルフ界には『男子に近づけるほどゴルフで強くなれる』という感覚はありました。当時は女子用のウエアもなかったはずですから。もちろんスカートの選手なんかは当然いません」
“強い”岡本綾子と女子人気を変えた宮里藍
まだ女子ツアーが行われていることさえ知らない人も多かったというが、徐々に世間に認知され始めたのは80年ごろだという。
「やはり大きな節目は、岡本綾子さんが登場したころ。男子ツアーの人気と共に盛り上がりを見せていましたよ」
日本女子ツアー通算44勝、米女子ツアー通算17勝。87年に日本人選手では初めて米ツアー賞金女王になった岡本綾子の存在はやはり大きい。
「樋口さんのあと、岡本さんが出てきて女子の人気をグッと押し上げましたよね。ただ、やはりスター選手がいてこそ注目されるわけで、それまでは協会も大会を主催するスポンサーもかなり苦労していたのは現場に行きながら感じました」
その流れが大きく変わったのが、「宮里藍」の登場だった。高校3年の2003年9月、ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで優勝し、翌月にプロ宣言して史上初の高校生プロとなった。
それまで若くて強い女子選手は数少なかった女子ゴルフ界。すい星のごとく登場したフレッシュな高校生をメディアが美逃すわけがなかった。
鈴木さんも「藍ちゃんが出てきてから、それはもうガラリと女子ゴルフは人気コンテンツになりましたよ。メディアも一気に膨れ上がってね。それこそ芸能記者たちも彼女を追いかけ始めましたから、一つの社会現象ですよね」
あまりの人気ぶりに宮里のサインにそっくりの偽物の色紙が大量に出回ったこともあるほどだ。宮里以前にもアイドル的人気を博した選手はいたが、それは外国人選手だった。
「日本ツアーには海外から多くの選手が来ていましたが、1970年代に“妖精”と呼ばれたローラ・ボーも衝撃的でした。金髪の小柄で、ギャラリーにも優しくて、ミニスカートのウエアにはみんなが驚いていました。日本には誰一人、そんな服装はいないので、こんなミニスカートでゴルフをしていいんだと。日本では相当の人気選手でした」
現場にいたカメラマンたちはみんな腹ばいになって、ミニスカート下からあおるようにショットの写真を撮っていたため、あまりにもひどいと途中でその撮影方法は中止になったという。現在のツアー現場でそんな撮り方をしているカメラマンがいたら大問題である。エピソードが時代を感じさせてくれる。
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