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- 「中島選手、蝉川選手に負けるのは悔しい」 22歳の平田憲聖が最年少で日本プロを制す!
今年5月のミズノオープンでツアー初優勝を飾った平田憲聖(ひらた・けんせい)が、早くもツアー2勝目を挙げた。しかも大会史上9例目となる完全優勝に、ツアー制施行後最年少(22歳246日)での優勝と記録づくしとなった。また、優勝賞金3000万円を獲得したことで賞金ランキングも3位に浮上。5年間の複数年シードも獲得した。
同学年2人の名前が奮い立たせた
◆国内男子プロゴルフ<日本プロゴルフ選手権大会 7月27~30日 恵庭カントリー倶楽部 (北海道) 7441ヤード・パー72>
最終日を通算10アンダーの単独首位で迎えた平田憲聖だが、前半のハーフで思いもよらぬブレーキがかかる。6、7、9番でボギーを叩き、首位の座をついに明け渡したのだ。ボギーを叩いたホールはいずれも3パットだった。イメージと実際のストロークが合わず、どうしてもカップまでボールが届かなかったのが要因だ。
「(スコアボードで)8アンダーまで落ちているのを知り、悔しい気持ちになりました」

首位から陥落した後、そのままズルズルと後退するパターンは珍しくない。インに入り、なんとか上位にしがみついていた平田だが、崩れそうな気持を奮い立たせたのは、ジュニア時代から何度も目にしてきた名前だった。13番パー3を終えてスコアボードを確認したときだ。
「中島(啓太)選手や蝉川(泰果)選手が上位に上がってきているのを見て、このまま負けるのはもっと悔しいと思ったんです」
中島、蝉川ともに学生時代にツアーで優勝を飾り、そのままプロに転向した実績を持つ。同学年の平田にしてみればすごいなと思うだけでなく、自分も頑張ろうという刺激を常に与えてくれる存在だという。
今大会でも2人を上回る気持ちよりも、自分だけ優勝争いから外れたくない気持ちのほうが強かった。
ただ、そのためには流れを変える必要がある。特にショート気味だったパッティングの問題を解消するために、平田はストロークの振り幅を大きくして、ボールを強くヒットするように心がけた。
単純だが、一つ間違えばタッチがさらに合わなくなることも十分ある。勇気を持ってボールの転がるスピードを速めた結果、バーディーパットが決まり始めた。
14番パー4で15メートルのバーディーパットを沈めると、続く15番パー4では4メートル、17番パー5では5メートルを沈めた。最終的に2位に2打差をつける通算11アンダーで国内メジャー初優勝を飾った平田。
ラウンド中にパッティングの微調整を行えるセンスが光ったが、同時にスコアボードで自分の位置を確認し、混戦を抜け出すゲームマネジメントを行える強さも見せた。
辛酸をなめまくった全英オープン
中島や蝉川に注目が集まりがちだが、平田も順調なゴルフ人生を歩んでいる。
大阪学院大3年時に日本学生ゴルフ選手権を制覇すると、同年にプロ転向を決意してファイナルQTに挑戦。2位となった資格で翌年のツアーに参戦すると、賞金ランキング58位でシード権を獲得する。
シード初年度の今季はミズノオープンでツアー初優勝を飾り、今大会ではツアー制施行後では史上最年少(22歳246日)でツアー2勝目を挙げたのだ。しかも公式戦を制したことで5年間の複数年シードまで獲得しているのだ。

ただ、今大会の直前に参戦した初の海外メジャー「全英オープン」では嫌というほど辛酸をなめさせられた。通算14オーバーの148位とまったく歯が立たなかったのだ。
「自分が想像していた以上に世界のレベルが高く、色々と痛感させられました」と振り返る。ショットだけでなく、アプローチやパットなどのショートゲーム、得意だったはずのコースマネジメントも通用しなかった。
予選に落ちた後は、体調不良の中、ロリー・マキロイのゴルフを見て自分との違いを見出そうとしたほどだ。
それでもただで転ぶつもりは毛頭ない。世界のトップと同じロープ内で戦った経験をしっかりと活かす気持ちで帰国した。
「いつまでも悔しい思いを引きずっているようでは全英オープンに行った意味もないので、このような結果になってうれしいです」と語った平田。来年、イギリスの地で借りを返すためにもさらなるレベルアップに励んでいく。
平田 憲聖(ひらた・けんせい)
2000年11月26日生まれ、大阪府出身。7歳からゴルフを始め、中学3年生で「日刊アマ」優勝。大阪学園高校2年生で「関西アマ」、大阪学院大学3年時には「日本学生」で優勝。2021年にツアープレーヤーに転向し、翌年にはシードを獲得する。2023年「ミズノオープン」でツアー初優勝、同年「日本プロ」で2勝目を挙げる。ELECOM所属。
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