- ゴルフのニュース|総合ゴルフ情報サイト
- 記事一覧
- ツアー
- 新たに5人が米女子ツアーへ “世代の先駆者”畑岡奈紗は日本勢が一大勢力となった現状をどう見ているのか?
日本勢7名が出場した米女子(LPGA)ツアーの「Qシリーズ・ファイナル」(最終予選会)が終了し、うち5名が来季のツアーカード(カテゴリー14)獲得の25位タイまでに入った。現在、米ツアーで活躍する世代の先駆者となった畑岡奈紗(はたおか・なさ)は日本勢が一大勢力となった現状をどう見ているのだろうか。
宮里藍の活躍を子供の頃に見ていた世代が大挙して米ツアーへ
日本勢7名が出場した米女子(LPGA)ツアーの「Qシリーズ・ファイナル」(最終予選会)が終了した。来季のツアーカード(カテゴリー14)獲得の25位タイまでに入ったのは5名。単独首位の山下美夢有、2位の岩井千怜、5位タイに岩井明愛、9位に吉田優利、24位タイに馬場咲希という顔触れだ。最終ラウンドに残っていた山口すず夏は61位タイ。来季は下部エプソンツアーから這い上がる構えだ。原英莉花は4日間でカットされ、最終ラウンドに進めずに終わっている。
日本ツアーから米女子ツアーを目指す選手は年々増え続けている。2024年にこのフィールドでプレーしたのは、「アムンディ・エビアン選手権」でメジャー初タイトルを手にし、平均ストロークNo.1のベアトロフィーも獲得した古江彩佳、「全米女子オープン」で2勝目を挙げた笹生優花、通算6勝の畑岡奈紗、19年「全英女子オープン」優勝の渋野日向子ら。2年目の勝みなみ、西村優菜、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた西郷真央もいた。吉田優利、稲見萌寧も奮闘した。
日本で行われた米女子ツアー「TOTOジャパンクラシック」優勝で竹田麗央は、QTに行かずに出場権を獲得している。これに加えて先述の5名が、出られる試合数に違いはあるが、参戦することになる。
その最終予選会が始まる直前、契約先のイベント「XXIO DREAM CUPプロアマ」に参加した畑岡は、仲間たちの挑戦に対して「普段通りにできればいいんじゃないですかね。来年一緒にプレーできれば」と、米ツアーの先輩としてエールを送っていた。
「(日本勢は)かなり増えた印象ですね。(古江)彩佳ちゃんがエビアンに勝ったり、(笹生)優花ちゃんが全米女子オープン2勝目を挙げたりして、身近にそういう選手がいるので、頑張らないといけないな、と思います」と、刺激を受けていることを明かした。
日本勢の米ツアー挑戦は、日本の試合数が少ない時代、試合が空いている時季に樋口久子、佐々木マサ子らが挑んだのが始まりだ。1977年「全米女子プロ」での樋口の優勝は、長い間、日本勢唯一のメジャータイトルだった。
81年に予選会を勝ち抜いた岡本綾子は、翌82年に早速「アリゾナ・コパー」で初優勝。その後も勝利を重ね、87年には米国人以外で初の賞金女王となる。優勝こそなかったものの。メジャーには51回出場してトップ20が28回。優勝争いを何度も繰り広げ、ツアーの“顔”の一人となった。岡本の全盛期には多くの日本企業が米女子ツアーのスポンサーとなり、日本のメディアもその活躍を伝えた。“岡本効果”は、とても大きなものとなった。
その後、中嶋千尋、入江由香らが岡本の後を追いかけ、小林浩美がそれに続いたのは90年のこと。当初は苦戦したが、この年、日本人初のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。93年「JALビッグアップルクラシック」で初優勝。通算4勝を挙げている。
さらに平瀬真由美、福嶋晃子がプレーした後、宮里藍が登場。2009年「エビアンマスターズ」で初優勝し、通算9勝。上田桃子、有村智恵らがこれに続いた。
その宮里の活躍を子供の頃に見ていたのが、現在、米女子ツアーでプレーしている選手、来年からプレーする選手たちだ。
その世代の先陣を切ったのが畑岡だ。22年「DIOインプラントLAオープン」以来、優勝から遠ざかっているが、そのことも踏まえて来年を見据えている。「勝ちたい気持ちはあったけど、なかなかできず悔しいです。来年は、経験を生かしながらやっていきたい」。短いオフシーズンだが「強い中にもしなやかさを出したい」と、コンディションをしっかり整えて挑む。
そのフィールドには、今年以上に多くの日本勢が加わる。多くの実力ある選手たちの中で、畑岡をはじめとする日本勢がどれだけ強さを見せてくれるか。25年は今年以上に日本のゴルフファンにとって、楽しみな年になりそうだ。
取材・文/小川淳子
ゴルフジャーナリスト。1988年東京スポーツ入社。10年間ゴルフ担当記者として日米欧のトーナメントを取材する。1999年4月よりフリーランスとしてゴルフ雑誌やネットメディアなどに幅広く寄稿。
- 1
- 2
最新の記事
pick up
ranking