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日本にゆかりのシャウフェレが勝利して大団円の「ベイカレント」 表彰式に凝縮されていた“PGAツアーらしさ”とは?
今年から大会名が「ベイカレントクラシック プレゼンテッド・バイ・レクサス」に改められ、横浜カントリークラブ(神奈川県)に舞台を移して開催された日本開催のPGAツアー大会。筆者が最もPGAツアーらしさを感じた瞬間とは?
「彼の貢献と尽力なしには開催することはできなかった」
「日本で開催される唯一のPGAツアーの大会」は、2019年に「ZOZOチャンピオンシップ」が創設されてからの6年間は、習志野カントリークラブ(千葉県)で賑やかに開催されてきた。
タイトルスポンサーが変わった今年からは、大会名が「ベイカレントクラシック プレゼンテッド・バイ・レクサス」に改められ、戦いの舞台も横浜カントリークラブ(神奈川県)に移されて、装い新たに開催された。
日本のゴルフファンの最大の期待を集めていた松山英樹は、調子が悪かったわけではないのに、いまひとつスコアにつながらないという歯がゆい展開になり、残念ながら優勝争いには絡めなかったが、彼の東北福祉大学の後輩たち、金谷拓実や比嘉一貴らの奮闘は、横浜に足を運んだ大観衆を大いに沸かせてくれた。

初日からリーダーボードの最上段に昇ったのは、昨年大会で2位タイになり、PGAツアーでの初優勝を「今年こそ!」と意気込んでいた米国出身のマックス・グレイサーマンだった。2日目も首位の座を守っていたグレイサーマンだが、3日目には百戦錬磨のザンダー・シャウフェレに捉えられ、首位に並んで最終日を迎えた。
そしてサンデーアフタヌーンは、通算10勝目を狙うシャウフェレと初優勝を願うグレイサーマンの手に汗握る熱戦が繰り広げられたのだが、優勝トロフィーを掲げたのはシャウフェレだった。
シャウフェレは世界ランキング4位のトッププレーヤーだが、昨年の全英オープン以降は優勝から遠ざかり、今季は、肋骨を痛めて序盤戦では欠場を余儀なくされた出遅れが尾を引き、昨今は苦悩の色も垣間見られた。
どんな選手にも苦しい時期は訪れるものだが、さまざまな苦難を乗り越え、両親や祖父母ゆかりの日本で、キャリアの節目となる通算10勝目を挙げたシャウフェレの雄姿に、日本のゴルフファンは酔いしれたのではないだろうか。
そんな試合展開は見ごたえ十分であり、それを可能にした戦いの舞台、横浜CCのコースコンディションやコース設定は、どの選手からも「パーフェクトだ」と絶賛されていた。
開催地が日本であれ、世界のどこであれ、PGAツアーの指揮の下、あらゆるモノやコトがPGAツアーらしく設営されることはPGAツアーの理想であり、目指すところでもあるのだが、今年のこの大会において、最もPGAツアーらしさを感じさせられたのは、シャウフェレの勝利が決まった後の表彰式の冒頭だった。
挨拶に立ったPGAツアー・インターナショナル社長のクリスチャン・ハーディー氏は、開口一番、こう言った。
「PGAツアー・アジア太平洋オフィスにコーリー吉村というスタッフが勤務していましたが、今年4月に亡くなりました。彼の貢献と尽力なしには、この大会を開催することはできなかったと思います。彼には妻と2人の子どもがいます。コーリーのために黙とうを捧げましょう」
表彰式は勝者を讃える場だが、チャンピオンにトロフィーを授与する前に、大会開催を支えてくれたスポンサーや開催コース、メンテナンススタッフ、ボランティアなどへの謝意を述べることは、米欧ゴルフ界では古くからの習わしになっている。その姿勢に倣って、昨今では日本のゴルフの表彰式でも同様の姿勢が見られるようになっている。
だが、このベイカレントの表彰式では、そうした慣例よりも何よりも先に、吉村氏への弔意と彼の努力や尽力に対する感謝の意が伝えられ、突然、夫と父親を失った遺族への気遣いを含め、表彰式に居合わせた人々に黙とうが促されたことは、「さすがPGAツアーだ」「これぞPGAツアーだ」と心底感心させられた。
ベイカレントのメディアセンターには練習日から吉村氏の遺影が置かれ、飲み物やお菓子も備えられていた。
フォトフレームが置かれていた場所はPGAツアーのスタッフたちの席の一角で、吉村氏が今も元気だったら、そこに座っていたはずの場所だった。
「コーリー吉村さん、彼はここにいる、スマイル&フォーエバー」
英語でそう綴られたメッセージも添えられており、写真の中で優しく微笑む吉村氏の笑顔は、私も日米双方で何度もお世話になった「コーリー」そのものだった。
「ヒデキ・マツヤマと仲良くなるミッションで日本から来ました」
私が吉村氏と初めて会ったのは、彼がPGAツアー・アジア太平洋のスタッフとして、米国開催のPGAツアーの試合会場にやってきたときだった。

その時期は、正確な記録などがないため、うろ覚えだが、2017年あるいは2018年ごろだったと思う。
「ヒデキ・マツヤマに挨拶をして仲良くなるというミッションで、日本から来ました」
わざわざ挨拶にやって来て自己紹介してくれた吉村氏は、そう言っていた。彼は、日本のビッグスター、松山英樹に初めて接するミッションを前にして、明らかに緊張していた。
数日後、「挨拶はできたけど、あんまり話ができなかった」と少々落胆気味だった彼は、その後も何度か米国にやってきて、“松山ミッション”に再び挑戦していた。
そうやって一生懸命だった彼の姿を、今でもはっきり覚えている。
大会が「ZOZOチャンピオンシップ」として開催されていた過去6年間は、毎年、習志野に吉村氏の姿があった。習志野で開催されたジュニア対象のイベント、DPA(ドライブ・アプローチ・パット)にも積極的に参加し、自ら司会役を務めたこともあった。
早稲田大学ゴルフ部の中野麟太朗がJGTOの大会に推薦で出場した際は、アマチュアの中野が1人で心細そうに見えて放っておけなかったのだろう。中野を夕食に連れ出し、まるで兄弟のように笑顔でツーショット写真に収まっていたことが、昨日のことのように思い出される。
そんな吉村氏の周囲には、PGAツアー・アジア太平洋オフィスのクリス・リー社長をはじめ、頭脳明晰なスタッフが数名勤務しており、その誰もが吉村氏の良き仲間だった。
このオフィスのスタッフは全員が日本語と英語のバイリンガルで、柔軟で前向きな思考の持ち主だ。フットワークも軽く、失敗を恐れないチャレンジ精神に富んでいる。
彼らはPGAツアーの大会を日本でさらに開催したいという意欲を以前から見せており、スポンサー獲得や試合会場探しを自分たちの足で積極的に行う場面を、私はこれまで何度も目にしてきた。
彼らはPGAツアーを日本やアジアで広げていくための少数精鋭の営業部隊であり、その中の一人だった吉村氏を失ったことは、あまりにも惜しく、そして悲しすぎる出来事だった。
そんな吉村氏に敬意を表し、彼が深く関わってきた大会の表彰式の冒頭で、何よりも先に彼への弔意を表したPGAツアーの姿勢こそは、何より素晴らしい「PGAツアーらしさ」だった。
文・舩越園子
ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学客員教授。東京都出身。百貨店、広告代理店に勤務後、1989年にフリーライターとして独立。1993年に渡米。在米ゴルフジャーナリストとして25年間、現地で取材を続け、日本の数多くのメディアから記事やコラムを発信し続けてきた。2019年から拠点を日本へ移し、執筆活動のほか、講演やTV・ラジオにも活躍の場を広げている。
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