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- 【皇室とゴルフ】昭和天皇と英国皇太子の日英対決は駒沢公園だった!?
秋篠宮家の長女であった小室眞子さんの結婚により、皇室にまつわる報道を目にしない日はありません。ゴルフはかつて上流階級のスポーツとされていた時代がありますが、皇族方がゴルフをプレーされている姿はあまり目にしません。皇室とゴルフの関わりはどうだったのか、紐解いていきます。
9ホールのマッチプレーは英国組が1アップで勝利
小室眞子さんの結婚により、皇室に注目が集まっています。そこで当サイトでは、皇室とゴルフの関係について深く掘り下げてみることとしました。

大正時代に日本ゴルフ界のパイオニア的存在だったのが当時の裕仁殿下(のちの昭和天皇)です。特に有名なのが、皇太子時代の1922(大正11)年に、東京ゴルフ倶楽部駒沢コースで行われたエドワード殿下(プリンス・オブ・ウェールズ=英国皇太子、のちの英国王エドワード8世)との親善ゴルフマッチ。試合形式はエドワード殿下とハルゼー侍従ペア対裕仁殿下・大谷光明(注1)ペアによる9ホールのマッチプレー(注2)でした。ちなみに舞台となった駒沢コースは現在、駒沢オリンピック公園となっています。
裕仁殿下とペアを組んだ大谷の一族はもともと天皇家と深い関係にありました。しかも英国留学中にゴルフと出合って腕を磨いた大谷は、実力も日本のトップクラス。のちに「日本のゴルフルールの父」とまで呼ばれるほどルールにも精通しており、皇太子のパートナーとしてはまさに適任だったのです。
しかし、結果は英国組が1アップで勝利。その模様は当時の東京朝日新聞、東京日日新聞にも取り上げられました。皇太子の影響は皇族方だけでなく一般の人々にも及び、ゴルフの発展にも大いに寄与することになります。
そもそも殿下のためのゴルフ道具を調達したのは、宮内省御用掛・西園寺八郎と、「森村組」(TOTO、日本ガイシなどの前身)幹部の森村開作(のちの7代目森村市左衛門)。2人は世話役である三好愛吉東宮傳育官の了承を得たあと、ニューヨークの在留邦人に依頼してスラセンジャ―のセットを送らせました。
「船便で送ったものを、1917年5月19日に森村開作が献上した。初めてお使いになったのは8日後の5月27日午前、高輪の皇子御殿の広芝で、雍人(やすひと)親王(のちの秩父宮)、宣仁(のぶひと)親王(のちの高松宮)の両人とゴルフの真似事をなさった。さらに7月1日、新宿御苑の広芝で侍従たちとゴルフ競技をされた」(富士屋ホテル仙石ゴルフコース100年史より)
コースデビューはそれから4週間後の7月28日の箱根。まだ造成中で7ホールの仙石ゴルフコースを、ご学友たちとラウンドしています。
「午前11時ごろのスタートだったが、あいにく午後2時ごろから濃霧が出て、途中で中止となった」(同前)
昭和天皇はゴルフに熱中し御所の中にもコースがあった
この後、沼津御用邸近くに6ホール、赤坂離宮に4ホール、皇居内の吹上御所に3ホール(のちに9ホール)、那須の御用邸に6ホールのミニコースが作られました。コースの設計や指導には、西園寺の長男である公一と、前出の大谷が当たりました。
皇太子は21(大正10)年5月に欧州訪問の際にロンドン郊外のアディントンGCで行われたハリー・バードンらトッププロのエキシビションマッチを観戦。滞在中にエドワード殿下の日本訪問とゴルフプレーも約束し、翌年に冒頭の「日英皇太子対決」が実現するわけです。この年、大谷が設計した新宿御苑内の9ホールも完成します。全長1736ヤード・パー32の皇室専用コースです。
翌23(大正12)年6月10日には皇后陛下からカップを下賜され、新宿御苑で第1回ゴルフトーナメントが行われました。皇太子も参加し、宮内官や大谷光明、西園寺八郎らとプレーした記録も残っており、その後、天皇陛下となってからも、日曜日ごとに訪れていた時期もあったといいます。
東京ゴルフ倶楽部100年史には「ゴルフのお相手の方々」と題して、昭和天皇が皇太子時代に交流のあった皇族方が挙げられています。さらに「昭和天皇の皇太子時代の記録に残る皇族方との交流は、朝香宮鳩彦王、北白川宮成久王、久邇宮朝融王、賀陽宮恒憲王、山階宮武彦王殿下、久邇邦久、小松輝久、季世子等の方々」と列挙した後「昭和天皇はその後、皇后陛下、皇族の皆様等と吹上御苑、新宿御苑、那須御用邸などでゴルフをお楽しみになられたが、しかし、不幸な戦争によって、昭和12年以降ゴルフをされなかった」と結んでいます。
昭和天皇は大戦以降ゴルフから離れたが他の皇族は?
しかし、昭和天皇の弟たちや皇子はゴルフを続けていました。
「戦後の平和な時代が訪れてから高松宮様、三笠宮様(編注/以上、昭和天皇の弟)、常陸宮様(編注/昭和天皇の次男、上皇陛下の弟)などがゴルフを楽しまれ、東京ゴルフ倶楽部は現在、三笠宮同妃両殿下、常陸宮同妃両殿下をクラブの名誉会員として奉戴している」(東京ゴルフ倶楽部100年史より)。
最近の皇族方のプレー頻度とプレーしているゴルフ場についてはどうなんでしょうか。宮内庁にも聞いてみましたが「プライベートな事柄でありますので,お答えは差し控えさせていただきます」という、つれない返事。そこで東京ゴルフ倶楽部の資料室アドバイザーである福島靖氏に聞いたところ「最近はゴルフをおやりになる方を、お見受けしませんね」との答えでした。
どうやら皇族方とゴルフの縁が薄くなっていることは確かなようです。昭和天皇の時代に比べると、令和の時代の現状は寂しい限りです。
(注1)大谷光明/浄土真宗本願寺派21世法主・大谷光尊(法名・明如上人)の三男で当時のトップアマチュア。日本ゴルフ協会の創設やゴルフルールの日本語訳、数々の名作ゴルフ場の設計など、草創期の日本ゴルフ界に果たした役割は計り知れない。
(注2)マッチプレー/現在主流であるストロークプレーのように通算の打数で競うのではなく、1ホールごとに勝敗を決め(1ホールの打数が同数の場合は引き分け)、勝ったホール数が多いほうをマッチの勝者とする競技方式のこと。
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