ジュニア時代は「ゴルフのよさ」に気がつかなくてもいい
坂田塾を主催する坂田信弘、不動裕理や大山志保などを育てた清元登子といった、そうそうたる指導者のもとで研鑽を積み、賞金女王まで上り詰めた古閑美保。
そんな古閑が夫である小平智とともにジュニアカップを主催した。そこで、古閑美保が考えるジュニア育成について語ってもらいました。
「とにかくゴルフを通じて色々な経験をしてもらえればいい。目標も環境もそれぞれ違うから、強くは勝手になればいい。プロになってもならなくても、この試合での経験や、ここで会った人同士の人間関係などを生かしていって欲しい。ゴルフでは、人とのつながりができますから」
「この試合を経験してプロになってメジャーで優勝するような選手が出て欲しいとも思うし、プロにならずに、ここで出会った子同士が将来、一緒に会社を経営するようなことがあってもいい。ここで自信をつけてプロになる子もいれば、逆にプロになることをあきらめる子がいてもいいと思うんです」
と、子供たちに経験を提供することが、大会開催の大きな目標であると語ってくれた。
自分のジュニア時代について、古閑らしくストレートに振り返ってもくれた。
「生意気だったと思いますよ。ずっと強くてちやほやされて育ったから。『私は強くなればいいんでしょ』と、周りの人が私のためにやってくれて当たり前、って思っていました」と苦笑する。
それが変わったのは、賞金女王になった後だと言う。故障で成績が落ちた時のことだ。
「周りから離れていく人が多かったんです。ずっとサポートしてくれる人もいたけど、周りから人がいなくなって。ジュニア時代だって、誰かがお金を出してくれているからゴルフができていたわけです。親だったり、坂田塾だったり。そういうことが色々わかって、きちんと感謝できるようになったのは、恥ずかしい話ですけど本当に最近のことです」
ゴルフに対する気持ちもどんどん変わっていった。
「プロになるものだと思っていたから、ゴルフがそんなに好き、と言う気持ちはなかったんです。でも引退して3~4年経って『やっぱりゴルフだ』って楽しくなったんです。こんなに1日人と一緒にいられてコミュニケーションできる、人の性格がわかるっていいなぁ、って。引退してからようやくゴルフのよさに気が付いたんです。だから、競技志向の子たちが今、ゴルフのよさに気付かなくてもいいんです。後でそれがわかったり、ゴルフの経験が生きたりすれば」
引退して10年「将来につながることをしよう」と思い立ち上げたジュニア大会
ジュニアカップは、その経験のプロセスの一つ、というわけだ。
ツアー通算12勝で、2008年には日本女子ツアー賞金女王と言う頂点も経験した古閑だが、故障もあって2011年いっぱいで現役を引退している。その後は、テレビ解説や講演、トークショーやイベントなどでゴルフの魅力を伝える仕事をしてきた。
引退から10年経った昨年、夫の小平智とともに立ち上げたのが『小平智・古閑美保ジュニアカップ』だ。
まず昨年11月23日に古閑の故郷、熊本県で九州大会を開催。2月23日には小平が育った関東での大会を開催した。5月には両大会の上位陣6人がそれぞれチームを組んだ団体戦の全国大会を行う予定(会場未定)でいる。
「元々はジュニアの大会をやろうなんて全く思ってなかったんです。でも、引退して10年が経って、自分がどんなふうに育ったかを考えた時、将来につながることをした方がいいと思うようになりました」
と、意外にもジュニアのイベントを考えるようになったのは、最近のことだと打ち明ける。
PGAツアー1勝で、現在も現役でプレーを続ける夫の小平智と頻繁にそんな話をしているのかと思えば、それも違った。
「私はずっと強かったから(ジュニア時代に)世界も経験している。でも彼はそうでもなかったし。それに、7歳も違う(古閑39歳、小平32歳)し、熊本と東京では環境も全然違うので」と笑う。
そんな2人だが、2021年夏に、イベント立ち上げを決めた。当初は、古閑の故郷、熊本と、小平の地元東京でそれぞれ大会を行い、全国大会で両方の代表がぶつかる形を考えていた。
だが、参加希望者が予想外に多かったため「九州大会と関東大会くらいの規模になりました」(古閑)と、それぞれの大会を開催した。
古閑の意見により女子は中学生、高校生の区別なく一緒に戦い、男子は中学の部、高校の部が別々に行われた。女子の上位6人と男子の上位6人(中学3人、高校3人)が代表となり、5月に古閑美保選抜(九州代表)VS小平智選抜(関東代表)のチーム戦が行われる。大会はチーム戦だが、メダリストは、大会が全米ジュニアの予選に経費を出して送り出してくれる。
古閑自身は現役を引退しているが、夫の小平は現役バリバリの現役選手。関東大会当日も、米PGAツアー・ホンダクラシック出場のため米フロリダ州に滞在しており、リモートで大会に”参加“していた。
古閑は、ジュニアカップをできるだけ長く、小平がやがて「アスリートじゃなくなってからも」(古閑)続けていけるように考えている。
「やがては、日本のプロの試合に出られるようにしたり、これからゴルフを始めるという小さい子供たちも参加できるイベントとして、10回大会、20回大会とやっていければ」と“経験の場“を広げる夢を語った。