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「素晴らしいことが始まる予感がする」希望を口にした4カ月後に命を絶ったG・マレー 一流選手も“無敵ではない”という教訓
チャールズ・シュワブ チャレンジが3日目を迎えていた5月25日の午後、PGAツアーに衝撃が走った。ツアー通算2勝を挙げた30歳の米国人選手、グレイソン・マレーが帰らぬ人となったことが、ジェイ・モナハン会長からの声明によって伝えられたのだ。
1月のソニーオープンで通算2勝目を達成
PGAツアーのチャールズ・シュワブ チャレンジが3日目を迎えていた5月25日の午後、ツアー通算2勝を挙げた30歳の米国人選手、グレイソン・マレーが帰らぬ人となったことが、ジェイ・モナハン会長からの声明によって伝えられた。試合会場のコロニアルCCには衝撃が走り、驚きと悲しみのニュースは世界へ広がっていった。
マレーの訃報はあまりにも突然で、誰もが「信じられない」と口を揃えた。
今年1月のソニーオープンでサドンデス・プレーオフを制し、7年ぶりの復活優勝と通算2勝目を挙げたマレーは、フェデックスカップ・ランキング38位、世界ランキング58位と健闘中だった。米メディアによると、マレーは今週の試合会場でも開幕前から明るい表情で選手仲間と言葉を交わしていたという。
しかし、2日目の16番を終えたところで「体調不良」を理由に途中棄権。そのとき彼に何が起こったのか、彼が何を思ったのかは分からない。
だが、それから間もなく、マレーはこの世から去ってしまった。
マレーの歩みを振り返れば、ジュニア時代の彼は将来を嘱望された天才ゴルファーだった。ゴルフが盛んなノースカロライナ州で生まれ育ち、数々のジュニアタイトルを獲得。米下部ツアーの大会に16歳で出場し、「史上2番目の若さで予選通過した」と大きな話題になった。
地元の名門・ウエイクフォレスト大学から2度の転校を経て、アリゾナ州立大学へ進み、2015年にプロ転向。下部ツアー経由でPGAツアーにデビューし、17年バーバソル選手権で初優勝を挙げた。
しかし、後になってマレーは「初優勝した試合では4日間のうち3日間は二日酔いみたいな状態でプレーしていた」と明かし、自身がアルコール依存症であることを告白した。
心身が不安定になり、躁鬱の症状が出て、「ベッドから出られない日々もあった」と明かしたマレーの成績は徐々に低下。シード落ちして下部ツアーへ逆戻りしてしまったが、必死の努力で禁酒に成功した昨年はコーン・フェリーツアーで年間2勝を挙げ、今季から再びPGAツアーで戦う権利を手に入れた。
「もう一度ルーキーになったつもりで頑張る」
そう宣言した途端、今年1月のソニーオープンで勝利を挙げ、通算2勝目を達成。4月にはマスターズに初出場して51位、今月の全米プロでは43位タイになり、世界ランキング60位以内に食い込んで、6月の全米オープン出場資格もすでに獲得していた。
チャールズ・シュワブ チャレンジにも元気な様子で出場していたマレーが、なぜ突然、この世から、いなくなってしまったのか。
訃報に接した誰もが「どうして?」「信じられない」と首を傾げ、「本当に残念だ」と肩を落とした。
「会長も選手会も『また連絡する』と言うだけだった」
アルコール依存症で苦しんでいる事実をマレー自身が明かしたのは、21年のことだった。
「PGAツアーが僕をアルコール依存症に陥れたわけでは、もちろんない。でも、この5年間、PGAツアーは、ただの一度も僕に救いの手を差し伸べてはくれなかった」
助けてはもらえなかったとマレーが振り返ったその5年間に、実際に彼が誰に何を求めたのかは、今となっては分からないが、マレーは「会長も選手会も『また連絡する』と言うだけだった」と口惜しそうに振り返った。
しかし、アルコール依存症であることをカミングアウトしてからは、何人もの選手が「力になるよ」「いつでも相談してほしい」と言って歩み寄ったそうだ。
モナハン会長もマレーの告白を耳にした直後から「すぐに連絡を取り、たくさんの話をした。グレイソンの話を聞くことで、PGAツアーとして何ができるか、助けを必要としている選手をどうやってヘルプすべきかを考えるための気づきを得ることができた」。
そして、モナハン会長は「PGAツアーが選手のサポート体制を充実させてきたことを誇りに思っている」とも言っていた。
そのサポート体制のおかげだったのかどうかは分からないが、ともあれ、マレーは23年に禁酒に成功し、コーン・フェリーツアーで年間2勝を挙げ、今季はPGAツアーにカムバックすることができていた。
「今年、グレイソンはとても明るい表情で心を開いてくれた様子だった。以前には興味がなかったことにも最近は興味を覚えると語り、とりわけ家の購入に関心を示していた。人生の幸せを見つけたとも言っていた」
実際、ソニーオープンで優勝した際も、マレーはこう語っていた。
「僕の人生は素晴らしい。美しいフィアンセがいて、優しい両親や親戚もいる。僕が苦しんでいたとき、一緒に苦しんでくれた人々のサポートがなかったら、今、僕はここにいなかったと思う。僕にとって何かとても特別な素晴らしいことが、これから始まりそうな予感がする」
それからわずか4カ月後にマレーの訃報を聞くことになるとは、きっと誰一人、想像すらしなかったことだろうと思う。
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