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毎晩のように道端でサッカーに興じて最終日「80」… “未熟者”だったマキロイが14年後に見せた成熟と娘に伝えたかったこと
14年前の悪夢を想起させるような最終日バックナインの苦闘を乗り越えてグリーンジャケットに袖を通したローリー・マキロイ。タイガー・ウッズ以来、四半世紀ぶりのキャリアグランドスラムを成し遂げるまでの道のりを振り返る。
マスターズで敗戦するたび“2011年のトラウマ”が話題に
マスターズ最終日の夕暮れどき、大観衆の「ローリー! ローリー!!」の歓声がオーガスタナショナルに響き渡る。悲願のマスターズ優勝とキャリアグランドスラムを達成したローリー・マキロイは、夢にまで見たグリーンジャケットに袖を通し、「ああ……ついに、これを着たぞ!」と言いたげなジェスチャーで大きな喜びを表した。

キャリアグランドスラム達成は、マキロイが史上6人目。そして、2000年のタイガー・ウッズ以来、実に25年ぶりの快挙となった。
振り返れば、マキロイがメジャー4大会の中で初優勝に最初ににじり寄ったのは、マスターズだったが、そのマスターズこそが、彼にとって勝つことが最も難しいメジャー大会となったことは、運命の皮肉だった。
2011年マスターズ最終日、マキロイは首位を独走し、圧勝さえしそうな勢いを見せていた。しかし、折り返し直後の10番でティーショットを大きく左に曲げた瞬間、流れは一変。そこから先はガラガラと崩れ落ち、80を叩いて15位タイに終わった。
つかみかけた勝利を逃したあの日の経験は、マキロイの心に深い傷を残し、その傷は年々、何重ものかさぶたになり、やがては高く厚い壁になって、彼の前に立ちはだかり続けてきた。
あれから14年が経過した今年、マキロイはとうとう壁を打ち破り、マスターズ初制覇とキャリアグランドスラムを達成。
「長い旅だった」
喜びもあったが、それ以上に悔しさや悲しさ、怒りや苦しみも味わってきた長い旅。自問自答と試行錯誤を繰り返してきた彼の旅は、本当に、長い長い旅だった。
07年にプロ転向したマキロイは、ティーンエージャーだったこともあり、当初は父親ゲリーと一緒に転戦するのが常だった。
しかし、自身3度目の出場となった11年マスターズの際は、友人やガールフレンドを母国・北アイルランドから呼び寄せて、オーガスタ近郊の民家で賑やかに滞在。両親は母国の自宅に留まり、TV観戦していた。
そして、マキロイらは毎晩のように民家の前の路上でサッカーに興じ、近隣住民から「マスターズの選手が騒いでいて眠れない」と、苦情が寄せられたこともあった。
マスターズ優勝はマキロイの幼い頃からの夢ではあったが、当時の彼は、マスターズで勝つこと、メジャーで優勝することの重みを、まだ肌で感じてはいなかったのかもしれない。いや、知らなかったのだと思う。知らないがゆえに、プレッシャーを感じておらず、彼は若さと勢いを糧に、勝利に迫っていった。
しかし、最終日の10番から崩れ始め、その流れを変えることも止めることもできずに惨敗したあの日から、マキロイはマスターズ制覇を成し遂げたい一心で、たくさんの変化を遂げてきた。
大事なメジャー大会の週に友人たちと楽しく滞在することは、その後は控えるようになり、マキロイには常に父親ゲリーが寄り添い、より慎重に、よりシリアスにメジャー開幕を迎えるようになった。
大敗を喫したあのマスターズから、わずか2カ月後に成し遂げた全米オープン初制覇は、父と息子の二人三脚で勝ち取った初めてのメジャー優勝だった。
翌12年には全米プロを制し、14年には全英オープンと全米プロで勝利を挙げて、早々にメジャー4勝を達成。次々にメジャータイトルを手に入れたが、マスターズだけはどうしても勝てず、そのたびに“2011年のトラウマ”が話題になった。
最初にメジャー優勝ににじり寄ったマスターズでなかなか勝利を挙げられないうちに、マスターズ以外の3つのメジャー大会をすべて制覇したことは、マキロイのマスターズ制覇にさらなる重みを加える形になった。
オーガスタナショナルでは、11年のトラウマと向き合うだけでも大変だというのに、キャリアグランドスラムという偉業の重みまでのしかかり、マキロイの前に立ちはだかる壁は、ますます高く厚くなっていった。
親友をキャディーに据え、古くからのコーチの目を再び信じる
試行錯誤を繰り返した長い旅の途上では、私生活面でもたくさんの変化を経験した。
11年マスターズの際にオーガスタナショナルに呼び寄せていた幼馴染の恋人とは、あの惨敗後に別れたという。
テニス界の女王と婚約し、結婚式の案内状を出す段階になって、突然、別れたこともあったが、その後、ライダーカップの際に出会ったエリカ嬢と結婚し、長女ポピーちゃんを授かった。昨年は愛妻エリカとの離婚騒動が報じられたが、結局、元の鞘に収まり、良き家庭環境の下で今年のマスターズを迎えた。
コーチもこれまでに何度か変えたが、今年は、幼少時代からの長年のコーチだったマイケル・バノンと再びタッグを組んでいる。マキロイが自身の本能や感性が最も生きるスイングを取り戻したのは、そのおかげなのではないだろうか。
キャディーも何度か変えたが、ジュニア時代からの親友であるハリー・ダイヤモンドがバッグを担ぐようになってからは、相棒を変えたことは一度もない。
ダイヤモンドとのベストコンビネーションを維持してきたこと、古くからのコーチの目を再び信じ、スイング作りに取り組んできたこと、良好な家庭環境を築いてきたこと。そうしたすべてが、マキロイの悲願達成を阻んできた壁の打破につながった。
今季はマスターズを迎える前にPGAツアーで2勝を挙げ、調子を上げていたマキロイの傍らには、優勝をともに喜ぶ妻と娘の愛らしい姿があった。そんな光景を目にするたびに、家族の存在こそが、マキロイの何よりの糧になっていることがうかがわれた。
ギアの調整も今年は例年以上に積極的だったが、それは過度にナーバスになっていたことと紙一重でもあったように思う。
3月のアーノルド・パーマー招待では、使い慣れたテーラーメイドの「Qi10」を「Qi35」に持ち替えたと思ったら、3日目の夜には「やっぱりQi10に戻したい」。
試合会場から車で3時間以上も離れた自宅に置いてあったQi10のセットを、ウーバーに依頼して緊急搬送。支払ったウーバー代金15万円は、マキロイにとっては大した金額ではなかったはずだが、最終日の前夜であっても、そこまでこだわったマキロイの胸の中には、翌月のマスターズのことばかりが渦巻いていたに違いない。
「そこまで」でも、「どこまで」でも、やれることは全部やる。そうしなければ、壁は越えられない。マキロイは、そんな気持ちだったのではないだろうか。
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