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- 世界最大級のゴルフ場運営会社が誕生するまで… PGMとアコーディア・ゴルフの成り立ちを振り返る
PGM(パシフィックゴルフマネージメント株式会社)の親会社である株式会社平和が株式会社アコーディア・ゴルフを子会社化するニュースはゴルファーを驚かせました。そこで、PGMとアコーディア・ゴルフという2つの巨大ゴルフ場運営会社が誕生するまでを振り返りました。
PGMもアコーディアも外資系投資グループが立ち上げたビジネス
PGM(パシフィックゴルフマネージメント株式会社)の親会社である株式会社平和が株式会社アコーディア・ゴルフを子会社化するニュースはゴルファーに大きな驚きを与えました。
一方で、PGMとアコーディア・ゴルフの設立をゴルフ雑誌の編集部員という立場で目の当たりにしてきた筆者からすると、両者はいずれ一緒になるだろうと思っていました。なぜなら、どちらの陣営もゴルフ場運営にスケールメリットという概念を持ち込んだ張本人だからです。2社がさらなるスケールメリットを享受するには、同じグループになるのが一番手っ取り早い方法です。
PGMはローンスターという投資ファンド、アコーディア・ゴルフはゴールドマン・サックスという投資銀行が設立した会社です。PGMの事業開始は2001年3月、アコーディア・ゴルフの事業開始は2002年12月でした。
彼らがなぜ日本のゴルフ場再生ビジネスに乗り出したかというと、投資に見合った回収が見込めるからというのが理由でしょう。“ハゲタカファンド”と非難されましたが、日本の金融機関には当時のゴルフ場が抱えていた預託金償還問題を解決するノウハウがありませんでした。
バブル崩壊後のゴルフ場業界は預託金償還問題に直面していました。日本の多くのゴルフ場は会員から入会金と預託金を集めてコースを造成していました。預託金は開場から10年が経過したらいつでも返還するという触れ込みだったのですが、返還するお金が残っていないのです。
日東興業(現アコーディア・ゴルフ)という会社が1997年12月に和議(破産を防止するために債務者と債権者で取り交わされる合意)の開始を東京地裁に申し立て、1999年5月に和議認可の確定を受けましたが、どうやらそういう手法では解決しない雰囲気が漂っていました。和議に代わる企業再生手法として民事再生法が1999年12月に成立し、2000年4月に施行されました。
民事再生法の申請を加速させたのが2001年4月に発足した小泉純一郎内閣でした。小泉内閣が不良債権処理を推し進め、ゴルフ場運営会社が続々と経営破綻しました。会社更生法も2002年12月に全面リニューアルされ、2003年4月に施行しました。
不良債権(預託金債務)と資産(ゴルフ場)を切り離し資産価値を再構築
ローンスターは西武百貨店グループの西洋環境開発が所有していたゴルフ場5コースをひとまとめにしたプレミアゴルフという会社の買収を皮切りに日本のゴルフ場再生ビジネスに本格参入しました。
その後、エスティティ開発11コース(2002年)、地産グループ16コース(2003年)、大洋緑化14コース(2004年)、日本ゴルフ振興グループ28コース(2004年)などを飲み込んでいきました。
ゴールドマン・サックスは和議から民事再生に転じた日東興業29コースを皮切りに、スポーツ振興グループ30コース(2003年)、緑営グループ20コース(2003年)などを束ねていきました。
ローンスター陣営は2004年12月にPGGIH(パシフィックゴルフグループインターナショナルホールディングス株式会社)を設立。この会社を2005年12月に東証一部上場させました。
ゴールドマン・サックス陣営は2003年5月に既存の会社を商号変更する形で株式会社アコーディア・ゴルフを誕生させます。ここにゴルフ場運営子会社を連結させながら2006年11月に東証一部上場を果たします。
両陣営が激しいゴルフ場買収合戦を繰り広げている最中は、どちらかが勝ち残り、どちらかが撤退するのかなと思いながら眺めていました。ところが両者とも東証一部に上場し、上場時の売出と上場後の売却で利益を確定させ、自分たちの国にさっそうと帰っていく姿を見て、「そんなお金の稼ぎ方があるのか!?」と目が点になりました。
そもそも両陣営に外国人プレーヤーはほとんどいませんでした。PGMの初代社長はアメリカ人でしたが、それ以外は海外企業や海外のゴルフ場で経営実績がある日本人プレーヤーばかりでした。今になって振り返ると、両陣営がお互いの利益を最大化するためにバランスを取り合っていたのかもしれません。
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