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またも破られなかった… 倉本昌弘が44年前の「全英」で残した“日本人最高位” 世界を驚かせた鮮烈デビュー伝説とは【小川朗・後世に残したい記憶】
倉本昌弘(くらもと・まさひろ)が1982年の全英オープンで記録した4位は、今年も破られることなく、日本人最高位として輝き続けています。鮮烈なプロデビューから世界のトップと渡り合った当時を、小川朗氏が振り返ります。
アマチュア時代から突出していた実績

アマチュア時代から倉本の実績は突出していた。日大ゴルフ部在籍中に日本学生選手権4連覇。プロ入り前の1980年には、並み居るプロを押しのけ「中四国オープン」で優勝した。
1927年(昭和2年)の第1回「日本オープン」で勝った伝説のゴルファー・赤星六郎、そして少年時代の倉本が目撃した、アマチュアがプロに勝つという中部銀次郎の快挙(1967年西日本オープン)を自ら再現した。
伝説のアマチュアゴルファー・中部は、倉本にとってあこがれの存在でもあった。小学5年になったばかりの頃、父に連れられて行ったゴルフ練習場で出会ったのが、日本のプロゴルファー第1号・福井覚治(1892~1930年)の長男・康雄プロ(1914~1991年)だった。
短く切った女性用の3番ウッドと7番アイアンを父から渡された倉本少年は、福井プロから基本を叩き込まれると、ゴルフ場の大人たちからも時には厳しく育てられながら、めきめき上達していった。
日大ゴルフ部2年時には、日本のアマチュア最高峰である日本アマチュア選手権を制覇。すでにライバルは大学生ではなく、日本のトップアマたちになっていた。
この年には第7回アジア・パシフィックアマチュアチーム選手権の代表入りを果たし、あこがれの中部とチームメートに。阪田哲男、森道応らとともに優勝を飾っている。
絶頂期のワトソンと全英最終日をプレー
少年時代から日大時代を経て、デビュー年には半年で6勝。賞金ランク2位でシーズンを終えた倉本は、翌1982年6月に所属先の土佐CCで、シーズン中ながら異例のキャンプを張った。春先から米ツアー遠征が始まり、予選通過が続いたためにほとんど休みがなくなり、疲労も蓄積していたためだ。
シーズン半ばで体の手入れを行いながらリフレッシュ。この効果がスコットランドでの第111回「全英オープン」で現れる。舞台はロイヤル・トゥルーンGC。待っていたのはスコットランド特有の強風だった。
倉本は、米国が生んだスーパースター、アーノルド・パーマーと初日から3日間連続で回ることになる。
52歳のベテランながら、常に“アーニーズ・アーミー”と呼ばれるパーマー人気でギャラリーが多く、「ロストボールがなくていい。またパーマーと組みたいな」と冗談を飛ばす余裕を見せながら、首位と4打差の1アンダーで3日間を終えた。
そして迎えた最終日。同じ組で回ったのは、通算2アンダーで3日目を終えたトム・ワトソンだった。ちょうど1カ月前、ワトソンはペブルビーチ(米カリフォルニア州)開催の「全米オープン」で「帝王」ジャック・ニクラスと激闘を演じた。17番のチップインバーディーで優勝を手繰り寄せた瞬間は、そのまま伝説となり、今も語り継がれている。
倉本はそのワトソンに肉迫した。1番で左のフェアウェイバンカーに打ち込み、ボギーを先行させながらも、2番で1メートル、6番パー5で3メートルを入れてバーディーを奪取。11番のパー5でも1.5メートルを沈めて3つ目のバーディーを奪い、通算3アンダーとした。このときには、優勝のチャンスは十分にあった。クランペットとプライスが後退してきたからだ。
しかし、ここでチャージに出たのがワトソンだった。同じ11番で3番アイアンの第2打を1メートルにつけ、これを沈めてイーグル。優勝へと突き進んだ。
結果的にはワトソンの地力が勝り、全米オープンに続き、この全英オープンも制覇。ニクラスですら達成していなかった同一年に全米、全英の両オープンを制する偉業を成し遂げた。
当時、間違いなくワトソンが最強だった。それは翌年のロイヤルバークデールでの全英連覇でも、証明されることとなった。
倉本は絶頂期のワトソンに一歩及ばなかったが、4位は大健闘。これは青木功が持っていた7位の全英日本人最高記録を塗り替えるものだった。この記録は、今も破られていない日本人の全英オープンベストフィニッシュだ。
44年たった今も残る日本人最高位

今年の全英オープン開幕直前、その倉本に当時を振り返ってもらった。
「あの頃は僕自身もアメリカから帰ってきて、日本で(プロとして)やり始めていた時期。どこへ行っても、多分他の日本の選手よりは、世界でプレーという点では、経験豊富だったと思う。(優勝争いをしていた)クランペットもプライスも、僕とそう年齢は変わらない。皆、いろんな経験をしてちょうど開花してきている時期とも言えましたよね。ワトソンさんは僕の5つ6つ上でしたが」
当時は26歳で、プロ2年目だった倉本。若さと勢いもあったし、すでに海外での経験値も高かった。全英の舞台で、その強みがいかんなく発揮された。
4位となった翌年、倉本はバークデールの全英オープンにも出場している(45位タイ)。本文冒頭のシーンは、まさにこの時だ。
今年の舞台であるロイヤルバークデールについては、こんなふうに話している。
「バークデールはその時の状態によって全然違うコースだから、暑ければ暑いでカラカラになるし、寒けりゃ寒いで本当に球飛ばなくなっちゃうし。気候変動と、もう一つはスプリンクラーの整備ですよ。セントアンドリュースにしても、スプリンクラーが入っちゃってから全然変わってきちゃったんで」
地球温暖化とともに激変する気候と、スプリンクラー導入により、コースは43年前とは大きく変わった。その舞台で、倉本が保持し続ける全英の日本人最高位を塗り替える選手は、今年も出てこなかった。記録更新に最も近い立場にある選手が松山であることは間違いないのだが、久常涼、中島啓太らDPワールドツアー経験者も増えて来ている。松山の「マスターズ」に続く全英制覇の快挙達成を胸に、強い気持ちでチャレンジを繰り返していってほしいものだ。(取材・文/小川朗)
取材・文/小川朗
日本ゴルフジャーナリスト協会会長。東京スポーツ新聞社「世界一速いゴルフ速報」の海外特派員として男女メジャーなど通算300試合以上を取材。同社で運動部長、文化部長、広告局長を歴任後独立。東京運動記者クラブ会友。新聞、雑誌、ネットメディアに幅広く寄稿。(一社)終活カウンセラー協会の終活認定講師、終活ジャーナリストとしての顔も持つ。日本自殺予防学会会員。(株)清流舎代表取締役。
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