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「オレはなんてバカなんだ」 暴露本が出た“ザ・お騒がせ男”フィル・ミケルソンの破天荒な生き様を振り返る
かつてフィル・ミケルソンのギャンブルパートナーだったビリー・ウォルター氏がミケルソンについての暴露本を出版。思えばミケルソンはその言動で常に物議を醸してきた。その破天荒な半生を振り返ってみよう。
大学生でPGAツアー優勝の快挙
米ゴルフ界のスーパースター、フィル・ミケルソンがPGAツアーで初優勝を挙げたのは、彼がまだアリゾナ州立大学に在学中のアマチュアだった1991年のノーザンテレコム・オープンだった。
その翌年にプロ転向したミケルソンは、PGAツアー参戦を開始し、1993年以降、次々に勝利を重ねていった。
だが、メジャー初優勝はなかなか挙げられず、米メディアから「メジャータイトルなきグッドプレーヤー」という皮肉な呼称を授けられてしまった。
光り輝くミケルソンに、その一方で、どこか報われないイメージが漂い始め、彼が人々から首を傾げられるような言動を取るようになったのは、あの頃からだった。
そして今、ミケルソンは大勢の人々から批判や懐疑の目を向けられている。
メジャー大会で惜敗を重ね、「いつになったらメジャーで勝てるんだ?」と問われ続けたミケルソンは、最初のうちは「インパクトでロングアイアンのフェースを、あと0.1度だけ閉じて球を捉えられれば……」などと自論を展開。「そんなロボットみたいな動きができるのか?」と、米メディアから酷評された。
そんなことが続いた末に彼は取材拒否を始めたが、2004年のマスターズを制し、悲願のメジャー初優勝を挙げると、05年には全米プロ初制覇、06年にはマスターズ2勝目も達成。バラ色の日々を堪能していた。
あの頃はミケルソンの優勝の可能性が限りなく高まると、必ず愛妻エイミーが大慌てで子どもたちを連れてクラブハウスへ戻り、あらかじめ持参してきていた家族でお揃いの「お祝いの服」に着替えることが慣例のようになっていた。
家族全員、ひらひらした白いドレスのような服を着て、18番グリーン脇でミケルソンのウイニングパットを見守り、勝利が決まった瞬間、全員がミケルソンに走り寄り、抱きついたり、キスしたり。それがミケルソン優勝の際に見られる、お決まりのシーンだった。
もちろん、ゴルフの勝敗は水ものゆえ、そのシーンが見られそうで見られなくなったケースも多々あり、その中でも06年の全米オープン最終日のミケルソンの惜敗は、歴史に残る負け方だった。
優勝を目前にしていたミケルソンは72ホール目でドライバーショットを大きく左に曲げて、コーポレートテントを直撃。次打で無理してグリーン方向を直接狙った結果、ダルボギーを喫し、勝利を手放す形になった。
思わずしゃがみ込み、頭を抱えながら「オレは、なんてバカなんだ」と嘆いたミケルソンの姿は、その2カ月前にマスターズ2勝目を挙げた際の輝かしい勝者の姿とは対照的だった。
富裕層への増税を打ち出したオバマ大統領を公然と批判
「オレは、なんてバカなんだ」発言は、それから何年もの間、米ゴルフ界でことあるごとに引っ張り出されていた。だが、よりによってミケルソン自身が、その発言を再び持ち出したことがあった。
あれは13年の春。ファーマーズインシュアランスオープンでミケルソンの会見が急遽組まれ、大勢の米メディアが詰めかけていた。
その数日前、ミケルソンは当時のオバマ政権が打ち出した富裕層への増税に反意を示し、抗議の意味で自分は住み慣れたカリフォルニアから引っ越すと公言した。
そんなミケルソンの発言は内外に波紋をもたらし、翌日には謝罪声明を出す事態に発展。ファーマーズインシュアランスオープンでは、その釈明のための会見が開かれたのだ。
予定時刻を1時間以上も過ぎてから、ようやく現れたミケルソンは、こう言った。
「いやあ、06年の全米オープンのことを思い出したよ。あれは、とんでもない失敗だった。ドライバーで左のテントをヒットして……次打は3番アイアンで無理やりカーブさせてグリーンを狙って、結局、ダブルボギーになって全米オープンタイトルを逃した。あのとき、本当はウェッジで安全にフェアウェイへ出すべきだった。(税金を公然と批判する発言をした)今回の一件も、あのときと同じような、とんでもない失敗だった」
報道陣から思わず苦笑が漏れた。コトのいい悪いはさておき、その場にいた誰もが「ミケルソンらしいユニークな釈明だ」と思ったに違いない。
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