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自ら提唱した大会をドタキャンしながら“主役は自分” 30年変わらないノーマンのエゴ
リブゴルフ創設にまつわる経緯ではグレッグ・ノーマンというゴルフ界のレジェンドの強すぎる個性、エゴを押し出すことをためらわない性格をまざまざと見せつけられているが、その性格は今に始まったものではなく、30年前もゴルフ界を振り合わしていた。
「グレッグ・ノーマンという人間は永遠に変わらない」
「歴史は繰り返される」というフレーズがあるが、その真意は、もしかしたら歴史そのものが繰り返されるのではなく、時を生きる人間がその性分ゆえに同じような行為を2度、3度と繰り返し起こすからこそ、よく似た騒動が再び巻き起こるのかもしれない。
「グレッグ・ノーマンという人間は、永遠に変わらないということだろうな」
そう嘆いているのは、メジャー2勝、PGAツアー通算8勝を挙げたオーストラリア出身の名手デビッド・グラハムだ。
グラハムは、プレジデンツカップが創設された1994年の第1回大会で世界選抜チームのキャプテンを務めたのだが、その第1回大会でも、その後も、ノーマンの言動に翻弄され続けた。そんなグラハムの昔話が今ごろになって米ゴルフウイーク誌によって特集され、大きな反響を呼んだ。
その理由は、今年のプレジデンツカップが再びノーマンによって翻弄され、まるで歴史が繰り返されるかのような状態に陥ったからだ。
今年のプレジデンツカップは、リブゴルフへ移籍したダスティン・ジョンソン、ブルックス・ケプカ、ブライソン・デシャンボーが米国チームから抜け、世界選抜チームからはキャメロン・スミス、ルイ・ウーストヘーゼン、エイブラハム・アンサー、ホアキン・ニーマンが消えてしまった。
残った顔ぶれからすれば、米国チームの圧勝が予想され、実際、勝利したのは米国チームだった。とはいえ、両者は熱戦を披露してくれたため、結果的には「いい大会だった」という印象を抱かせてくれたように思う。
しかし、もしもリブゴルフが創設されず、主力選手たちが揃って出場していたら、今年のプレジデンツカップがもっと熱い大会になっていたことは想像に難くない。
そんな経緯を傍目にしながら、プレジデンツカップ第1回大会の世界選抜キャプテンを務めたグラハムは「またしても、ノーマンだな」と嘆いていた。
突然の欠場にメディアは「ノーマン仮病説」を書き立てた
そもそも、プレジデンツカップ創設の原案を思い描いたのはノーマンだった。
1990年代のはじめ頃、ノーマンは「米国人選手と欧州選手にはライダーカップがあるが、オーストラリアやアジア、南アなど米欧以外の選手には、国や大陸の名誉をかけて戦うチーム戦を経験する場と機会がないのは不公平だ」と主張。
当時の米ゴルフ界はノーマンの黄金時代だったこともあり、PGAツアーは「当時の王様」の主張を聞き入れ、米国チームと欧州以外の世界選抜チームが対戦するプレジデンツカップを創設。94年に第1回大会が開催されることになった。
もちろん、ノーマンもグラハムがキャプテンとして率いる世界選抜チームの一員として出場する予定だった。
しかし、その頃ノーマンは、メジャー優勝者だけが出場できる新ツアーとして「ワールドツアー」なるものの創設も提唱しており、その件でPGAツアーと揉めていた。
そして、プレジデンツカップのわずか数日前、「風邪のため」突然の欠場を表明。主力のノーマンが抜けたことで、世界選抜チームは急遽、補欠を入れる調整に奔走させられた。初回ゆえになかなか出場希望者が見つからず、ようやく加わったのは日本の渡辺司だった。
米メディアの多くはノーマンがPGAツアーへの当てつけで欠場したと見て、「ノーマン仮病説」を書き立て、「ノーマン自身の強い希望を聞き入れる形で創設されたはずのプレジデンツカップなのに、ノーマン自身が自分のエゴによって、大会を開幕前から台無しにしようとしている」と激しく批判した。
「グレッグ、なぜここにいる? ここへ何しに来た?」
いざ大会が始まると、米国が圧倒的な強さを誇り、世界選抜は押されっぱなしだった。そして、個人マッチが行われる最終日の朝、驚きの出来事が起こった。
私もその場に居合わせたので、あのときの張りつめた空気感は今でも昨日のことのように覚えている。
あの朝、風邪をひいて寝込んでいるはずのノーマンが、突然、試合会場の1番ティーに現れ、人々を驚かせた。一番驚いたのは、キャプテンのグラハムだった。
「グレッグ、なぜここにいる? 欠場したキミが、ここへ何しに来た?」
ノーマンは、自分にマイクを付けてCBSのTV中継ブースとつなぎ、自分がプレジデンツカップのことや世界選抜チームのことを語りたいとグラハムに申し出た。すると、グラハムは顔を真っ赤にしながら怒声を上げた。
「冗談じゃない。そんなことは絶対に許さない。チームのみんなは月曜日から練習を重ね、さまざまな行事もこなし、初日から必死に戦っている。それなのに戦うことを放棄したキミは今ごろノコノコやってきた挙句、自分がいかにグレートであるかをテレビで語るつもりかい? これはプレジデンツカップであって、グレッグ・ノーマンの大会ではない!」
グラハムに一蹴され、今度はノーマンが激怒したことは言うまでもない。第1回大会は「20対12」で米国チームの圧勝。2年後の96年大会では、米国キャプテンをアーノルド・パーマーが務めることが決まり、世界選抜キャプテンはグラハムに再任を求める声が高く上がっていた。
しかし、その後、ノーマンはグラハムがいかにキャプテンにふさわしくないかをことあるごとに力説。ノーマンが「グラハム下ろし」を展開し続けることに嫌気がさしたグラハムは、キャプテンを自ら辞任し、こう振り返った。
「ノーマンはいつも自分が単なる1人のプレーヤーであることに飽き足らず、それ以上のビッグな存在となることを切望していた。あのときは、私をキャプテンから引きずり下ろすことで、自分が偉大なるプレイング・キャプテンになりたかったんだと思う。もっとも、それは叶わなかったけどね」
96年大会ではオーストラリア出身のピーター・トムソンが世界選抜キャプテンとなり、結局、ノーマンは一選手として、自分が言い出しっぺだったはずのプレジデンツカップに遅ればせながら初出場した。
自分が創設した大会からも締め出されたノーマン
グラハムいわく、プレジデンツカップ創設に至るまでの数年間も、創設時も創設後も、「PGAツアーはノーマンのわがままやエゴに振り回され続けた。第1回大会は彼の突然の欠場によって台無しにされそうになり、最終日の朝の騒動によって、あの日も台無しにされそうになった」。
それでも、一流のプロフェッショナル集団は、ノーマンという一選手によって壊滅される事態を避けて急場を乗り切ることができた。
だが、あれから20数年が経過した今、リブゴルフ創設によってPGAツアーやDPワールドツアーを中心としてきたゴルフ界を「またしてもノーマンが台無しにしようとしている。彼は変わらないね」と、グラハムは悲しげに振り返っている。
プレジデンツカップだけではない。89年にノーマンが創設したチャリティー大会「シャーク・シュートアウト」は、現在は「QBEシュートアウト」と大会名は変わっているが、いまなお「シャーク(ノーマン)の大会」としてPGAツアーの日程に組み込まれている。
ノーマン自身、創設時から昨年大会まで一度も欠かさず参加してきたが、リブゴルフを創設し、PGAツアーを大揺れさせているノーマンには、今年は大会側から「来ないでほしい」「出ないでほしい」と通達された。
自分の大会から拒否されたノーマンは、最初は激怒したものの、最終的には要求を受け入れ、「行きません」と返答。もはや今後は「シャークの大会」にシャークが出ることはないが、この大会自体の存続も危ぶまれる状況にある。
せっかく愛され続け、素晴らしき歴史を刻んできた大会を台無しにしようとしているのは、他の誰でもなく、大会を創設したノーマン自身だ。
歴史が繰り返されるというよりも、ノーマンによって繰り返される悲しい行為と出来事は、もう、これ以上、増やしてほしくない。
文・舩越園子
ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学客員教授。東京都出身。百貨店、広告代理店に勤務後、1989年にフリーライターとして独立。1993年に渡米。在米ゴルフジャーナリストとして25年間、現地で取材を続け、日本の数多くのメディアから記事やコラムを発信し続けてきた。2019年から拠点を日本へ移し、執筆活動のほか、講演やTV・ラジオにも活躍の場を広げている。
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