ゴルフに出会わなければ「刑務所の中にいたと思う」 復活V ジェイソン・デイの壮絶な生い立ちと亡き母の大きな愛 | e!Golf(イーゴルフ)|総合ゴルフ情報サイト

ゴルフに出会わなければ「刑務所の中にいたと思う」 復活V ジェイソン・デイの壮絶な生い立ちと亡き母の大きな愛

PGAツアーのAT&Tバイロン・ネルソンで2015年全米プロ覇者のジェイソン・デイが5年ぶりの復活優勝を遂げた。人懐こい笑顔と温厚な性格で知られるデイだが、ゴルフに出会い、プロを目指して打ち込む選択をしていなければ「刑務所に入っていたかもしれない」というほどの壮絶な生い立ちを持つ。そんな中でもデイを支え続けたのが、昨年他界した母・デニングの大きな愛だった。

「ニホンゴ、スコシ、ワカリマス」人懐こい笑顔に隠された壮絶な過去

 今年の全米プロを目前に控えた5月第2週、米テキサス州ダラス郊外で開催されたPGAツアーのAT&Tバイロン・ネルソンで、オーストラリア出身の35歳、2015年全米プロ覇者のジェイソン・デイが5年ぶりの復活優勝を遂げた。

AT&Tバイロン・ネルソンで5年ぶりの復活優勝を遂げたジェイソン・デイ 写真:Getty Images
AT&Tバイロン・ネルソンで5年ぶりの復活優勝を遂げたジェイソン・デイ 写真:Getty Images

 デイはメジャー1勝を含むシーズン5勝を挙げた15年の秋に世界ランキング1位に上り詰め、トッププレーヤーの1人として輝いていたが、18年5月のウエルスファーゴ選手権以降は、勝利からすっかり遠ざかり、ランキングは下降の一途だった。

 そのデイが今、再び勝利し、通算13勝目を挙げたとき、彼の復活優勝を誰よりも喜んでいたのは、きっと天国にいる彼の母親デニングだったのではないだろうか。

 私が初めてデイに出会ったのは、彼がまだ下部ツアーに出場していた07年だった。用具メーカーのツアーレップに案内され、PGAツアーの大会会場を見学に訪れていたデイは、プロアマ戦の日、試合会場の練習場の一角で開かれた関係者向けのバーベキューランチに参加。私は、そこで彼と隣合わせで座り、しばし会話を楽しんだ。

「ニホンゴ、スコシ、ワカリマス」

 ぎこちない日本語でそう話しかけてきたデイは、PGAツアーを目指していることや母親がフィリピン出身であること、そのせいか日本やアジアの国々が大好きなことなどを爽やかな笑顔で話してくれた。

 翌年、デイはPGAツアーの出場資格を獲得。以後、彼とは試合会場でしばしば顔を合わせるようになり、10年のバイロン・ネルソン選手権で初優勝を挙げた直後、初めて1対1のインタビューを行った。

 そこで聞かされた彼の生い立ちの物語は、爽やかな笑顔からは想像もしなかった壮絶な内容で、私はただただ驚かされた。

「幼いころ、僕の家は貧しかったけど、父がゴミ捨て場に置かれていた中古のゴルフクラブを持ち帰ってからは、僕と父は『どっちが先にうまくなるか競争だ』と言って、楽しく暮らしていた」

 しかし、デイが12歳のとき、父親は肺がんにおかされ、あっという間に他界した。その悲しみを受け入れることができなかったデイは、近所の不良少年たちと付き合うようになり、酒、たばこ、暴力、ケンカに明け暮れるようになった。

 だが、あるとき、全寮制のボーディングスクール(寄宿学校)に入って、もう一度ゴルフをしようと思い立った。デイの母親デニングは、その学校の高額な学費を工面するため、自宅を二重抵当に入れ、2つも3つも仕事を掛け持ちして、息子を送り出したそうだ。

 寮の友だちが持っていたタイガー・ウッズの本を偶然目にしたデイは、「そのときからプロゴルファーを目指そうと心に決めた」と振り返った。

「もしも、その学校へ行ってゴルフに打ち込んでいなかったら、今ごろ、アナタは何をしていたと思いますか?」

 私がそう尋ねると、デイはしばし考えた後、「たぶん、どこかの刑務所の中にいたと思う」と答えた。

 そんな重い言葉をPGAツアー選手の口から聞かされたのは、私にとっては初めての経験だった。

「世界一でも何位でも構わない」息子の健康と幸せだけを願う母

 14年に世界選手権シリーズのアクセンチュア・マッチプレー選手権で通算2勝目を挙げたデイは、翌年の夏、全米プロを制し、メジャー初優勝を遂げた。

 その優勝会見で彼が自ら赤裸々に語った彼のさらなる生い立ちの物語は、私のみならず世界中のゴルフファンを驚かせ、誰もがデイに賞賛の拍手とエールを送った。

「僕の高額な学費とゴルフ代を捻り出すため、母と僕の姉たちは倹約に倹約を重ね、欲しいものも買わず、たくさん犠牲を払ってくれた。実家の湯沸かし器が壊れたときは、新しい湯沸かし器が買えず、母は大きなヤカンでお湯を沸かしては、シャワーを浴びる僕や姉たちのために何度も風呂場へ運んでくれた。芝刈り機が壊れたときも、修理代が払えず、母は庭の芝や雑草を小さな果物ナイフで刈っていた。長い時間、炎天下で、母は黙々と芝を刈っていた」

 全米プロを制した15年に年間5勝を挙げたデイは、ついに世界ランキング1位へ上り詰めた。

 実を言えば、私はその前年の暮れに、オーストラリアのブリスベンにあるデイの実家を訪ね、彼の母親デニングにインタビューをした。その際、彼女は「私はジェイソンが世界一でも何位でも構わない。あの子が健康でハッピーで、ありのままの自分でいてくれたら、それでいい」と言った。

 成績やランキングより、息子の健康と幸せを何より願っていた母親は、しかし、それから間もなく、自身の健康を失い、それがデイの心とキャリアを大きく揺さぶることになっていった。

「ジェイソン・デイ、WD(棄権)」母のがんを知らされ歩くこともままならず

【写真】パパの復活優勝を祝うジェイソン・デイが築いた幸せなファミリー

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妻エリーから祝福のキスを受けるジェイソン・デイ 写真:Getty Images
長男ダッシュと抱擁して喜び合うジェイソン・デイ 写真:Getty Images
ジェイソン・デイの家族、妻エリーと子供たち 写真:Getty Images
AT&Tバイロン・ネルソンで5年ぶりの復活優勝を遂げたジェイソン・デイ 写真:Getty Images
2017年のデル・マッチプレー選手権で棄権後に記者会見し、母が末期に近いがんにおかされていることを公表したジェイソン・デイ 写真:Getty Images
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